2016年11月7日
豊川海軍工廠戦没者慰霊祭 追悼のことば(4)渡辺みつ子
昭和六十年十月八日 桜ケ丘高等女学校 第一回卒業生 渡辺みつ子
「丘にはためくあの日の丸を、仰ぎ眺める我らが瞳、何時かあふるる感謝の涙、もえてくるくる心の炎、我らは皆んな力の限り、勝利の日まで勝利の日まで」
寮から工場まで声高らかに歌って通ったーキロ足らずの距離が貴女達と、私共の運命を分けて終いました。
二十年八月七日、豊川工廠はB29の集中猛爆を受けて終いました。凄ましい爆撃音と、身体の中までゆるがす昨裂音の中を伏せては起き起きては走り無我夢中で逃げのびました。
逃避の果て帰寮したそこには何とも悲しい知らせが待っていました。工場は壊滅、昼勤の貴女達が見付からないと云うのです。先生を始め一同必死に探しました。見馴れたカスリの頭巾、上衣、モンべにほっとしたのも東の間、其の体は微動だにしませんでした。どんなにか恐かったでしょうね。どんなにか苦しかったでしょうね。どんなにかお父さん、お母さんを呼び続けたでしょう。その事を思う時、私共の胸は張り裂けんばかりです。ましてや親族ともなれば、なお更の事、其の思いは強く激しかった事でしょう。あんなに懸命にお国の為に忍び抜き、つくし抜き、励み抜きましたのに、しかも在廠ーケ月、終戦前一週間とは悔んでも悔みきれません。
星霜流れて四十年が経った今も、あの日、あの時、あの姿は目に焼き付いて私共の脳裏から消え去る事はありません。
今日の日本は平和で豊かで、そして自由な国家と変りました。この基礎こそ私共の身代りとなって青春の、そして壮年の哀歓を知ることなく蕾のままで散ってゆかれた貴女達の尊い犠牲から築かれたものであります。
母校も発展に発展を続け素晴らしい学校になりました。本日は開校六十周年を記念して多くの先生方、同窓生が集い、 この慰霊碑の前でありし日の貴女達の面影をしのび回想しながら、みたまの冥福を祈りつつ合せて永遠の平和を祈願し、合掌するものであります。