2016年11月8日
豊川海軍工廠の思い出(1)桜丘高校 特別講師 井口正夫
小学校六年生の正月、父が豊川堂で「当用日記」という小版の日記帳を買ってくれた。昭和十八年のことである。以来ときどきは欠かしながらも書き続けた日記はいまの私にはかけがえのない宝物となっている。
先日稲垣先生から「豊川工廠での被爆の体験を書いてくれないか」との依頼があり、久しぶりに引き出しの奥から二冊の日記帳を取り出した。昭和十九年と二十年、私が十四才から十五才の頃に記した日記である。ところどころに気取った文語体のまじった読みづらい文章だが、「国のためなら命も惜しまず」といった当時青少年の誰もが持っていた心意気がにじみでていてなつかしい。
以下、中学二年生から三年生にかけての記述の中から要点を抜き出し工廠での思い出を綴ってみよう。