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2016年11月15日

豊川海軍工廠について(1)桜丘中学校 2年B組 大槻佐和子

はじめに・・・・
 私が、海軍工廠のことに注目して、調べようと思ったわけは、前々から祖母から話を聞かされていた事や、その工廠が私の身近にあるということです。
 私の祖母や、小学校の頃の担任の先生など、実際にその爆弾の下をくぐった人が多くいるので、その人たちにお話を聞いたり、被爆者の手記を読んだりして、調べていきました 。

1 軍需工場の町

 豊川海軍工廠ができるまでは、豊川市ではなく、宝飯郡豊川町、国府町、牛久保町、八幡村の四か町村に分かれていました。
 ところが、昭和14年、12月15日。横須賀、呉、佐世保、舞鶴(明治36年)広(大正13年)についで、豊川町北部の松林を切り拓いて工廠が建設されたことによって、豊川町とその周辺は急速に発展しました。そして昭和十八年六月にこれら町村が合併し、豊川市となったのです。これ以後、光、相模、川棚、沼津、多賀城、鈴鹿と設立される海軍工廠の先駆となりました。
 工廠が建設された本野ケ原は、赤松や雑木林が生い茂るまったくの原野でしたが、工廠が建てられると、その周辺には寄宿舎、病院、厚生施設などが急ピッチで建てられていき、交通網や、住宅整備され、新しい街が形づくられて行きました。
 こうして、これまで豊川稲荷の門前町であり農業中心であった町や村も、「工廠の街」へと変わっていったのです。



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