2016年11月15日
晩春記(1) 尾崎一雄
大正九年に、四十七才で死んだ私の父は、明治三十年に東大を出てゐるから、当時としては知識人と云はれる資格が有つた筈なのに、それがあるとき、つくづくとこんなことを云つた。
「人間が空を飛べるやうになるとは、まったく驚ろいたことだ。単なる空想に過ぎないと思つてゐた」
米国人のナイルスだつたかスミスだつたかが、飛行機をもつてやつてきて、曲芸飛行をやってみせたときの父のつぶやきであつた。
当時小学生か中学下級生だつた私は、内心父の旧弊さをわらつたものだ。私には、飛行といふものが、一向に不思議とは思はれず、人間の知恵と能力とをもつてすれば、さらに飛躍的な業績が示されるに違ひない、と思つてゐた。私はどこまでも人智の進歩を信ずる楽天的な少年であつた
ところが、やがて私は、自分の誤算に気がついた。そして、「人智の進歩」を、手ばなしに喜んではゐられなくなつた。さうして今では、知識ばかり進む人類の前途に不安を抱かずには居られぬ状態である。