2016年11月17日
豊川海軍工廠について(3)桜丘中学校 2年B組 大槻佐和子
3 中部地方の空襲
爆弾や焼夷弾の雨のように降らせて多くの人を焼き殺し、戦争がいやになる作戦「戦略爆撃」を行ったのがB29爆撃機です。
名古屋は、最初の目撃都市になり5月14日、17日と大空襲をうけました。(私の祖母がこの空襲を体験しています。)
愛知県下では豊橋・6月20日、岡崎・7月27日なども空襲にあいました。また豊川も海軍工廠があったためひどく爆撃されました。
4 学徒動員の様子
愛知県内政部長、愛知県青少年学徒勤労動員本部長、愛知県警察部長の連署で、県下各中学校長、各国民学校長宛てに「工場事業場等ヘノ中等学校低学年生徒及国民学校高等科児童ノ勤労動貝ニ関スル通牒」が発せられ、入廠する事になっていました。工廠へ動員されると、ほとんどが寄宿舎に入れられ、機械を100%回転させるために三交代で深夜の仕事もあったそうです。
動員の通知は、小学生、中学生、女学生などに発せられて、勉強しないで、お国のために働くことがあたり前でした。それに当時の、戦時教育の中で育っていた学徒動員たちは、何も考えず「働く」ことに感謝したといいます。工廠へ、動員の通知が来た時も、「いよいよお国のために出番が来たな」と思うような、そんな世の中だったのです。