2016年11月18日
豊川海軍工廠について(4)桜丘中学校 2年B組 大槻佐和子
5 豊川大空襲… 海軍工廠被爆
空襲の激化とともに、多くの軍需工場が被爆していくなかで、豊川海軍工廠は不思議にも無傷のまま残され、人々はそれをかえって不気味にすら感じ「豊川稲荷の御加護だ」と言う者まで現れました。
しかし、広島に原子爆弾が投下された次の日、昭和20年8月7日火曜日。ちょうど太平洋戦争の終わる一週間前のこと・・・・。マリアナ基地を発進し、硫黄島から飛び立ったP51戦闘機に護衛されたB29爆撃機124機の大編隊は、工廠を集中爆撃し、爆弾と、機銃掃射の雨を降らせました。
高度約5,000mから投下された爆弾は、3,256発。総トン数813トンに上がりました。(アメリカ第20航空軍〈B29部隊〉の資料より)。この爆撃で、大軍需工場は、午前10時13分から、39分まで26分間の間の、またたく間に疎開工場を除いて潰滅してしまいました。死者は2,544名にものぼりました。