2016年11月24日
豊川海軍工廠について(7)桜丘中学校 2年B組 大槻佐和子
7 感想
8月15日ラジオで、太平洋戦争が終わった事が知らされました。豊川海軍工廠が被爆した、たった一週間後の事でした。
その当時、軍人の人達は、新聞も読ませてもらえず、日本の空襲のことは知らされていませんでした。だから、豊川空襲のことも、豊橋空襲のことも、正式には伝達されず、ただ風のたよりで、「豊橋全市が、空襲で丸焼けになったそうだ」という話が伝わり、心配して手紙を出しても、墨でぬられてしまったりして、復員(戦争が終わったことによって軍人が任務を解かれ一般市民にもどること)するまで、正しい情報はえられなかったのです。いかに、お国のため「お国の事情」とは言え、ひどい事だと感じました。豊川海軍工廠の被爆者の手記を読んでいると、「あと一週間終戦が早ければ」という言葉が、多く出てきていました。多くの人を殺して、深い思い出の傷をつけた戦争は、やっばりやってはもういけないなと、思いました。