2016年12月12日
鑑賞権の設定(3) 斎藤玉男
尤もこれにも例外がないではない。例へば東海道線函南駅の場合、下り列車が十数分を超える丹那トンネルを出た途端に、比較的気取りの少ない立看板が同様に気取りのない雑木林の丘に立って居るのは何となしに乗客の気分に「山の駅」につながる或る種のやすらぎを贈らないであろうか。それと対蹠的と言えなくもないのは、トンネルの向う側の熱海駅の、屋上と言わず小売店の板壁と言わず、重なり合いひしめき合う看板の堆積である。仮りにあの堆積の俗悪趣味が一夜にしてすべて取払われたとしたら、乗客はセイセイする代りに恐らく一脉の落莫さに襲われずには居られまい。今となってはあの林立する看板と軒を並べるパチンコ屋とは泉都熱海の一つの属性とさえ言われてよいのであろう。
神戸の葺合区、大阪の此花区、東京の江東区あたりの小工場のボウ大なる堆積も(当然そこの工員たちの生活状況を連想の中に含めて)今となっては大きな必然性をもって一つの景観を成り立たせて居る。