2016年12月15日
鑑賞権の設定(6) 斎藤玉男
ところで物にはいつも裏がある。鑑賞権の場合とてもその例外ではあり得ない。鑑賞権への侵害に対して弱々しい態度でブツブツ抗議することが、実は一種の楽しみであるような一群の人たちがどちらにも存在する。そしてこの種の人たちにとっては抗議が通らぬ(実際には大方無視され勝ちでもあるが)ことによってその楽しみが完成すると言うことにあるらしい。つまり無視されることによって自分たちの世俗からの超越度が証明されると言った論理が引き出されるらしい。そうなると抗議の消極性と非現実性が彼等の半ば意識下の狙いであって、鑑賞権云々はつまるところ刺身のツマの役のほか持たないことになりそうである。