2016年12月19日
鑑賞権の設定(7) 斎藤玉男
こうした極端な消極性と自慰的傾向をもった在り方は被動的マゾヒストに普ねく見られる楽しみのとり方である西行の作品にも同じ傾向の在り方が発見出来るように受け取れるとすれば西行以下のナビに浸透されたこの国の景観に同種の匂いが嗅ぎ取られても不思議はないと言えるのではあるまいか。
この頃訳出されたフランスの小説の筋に、或る夫が愛妻を巧みに誘導して姦通にまで導びき込み、相手の男性を脅迫しながら自身は真剣に嫉妬し憤慨もしながら、マゾヒストとしての欲求を満喫する成り行きが克明に描かれている。これなどはあちら仕立てのマゾの話しであるだけに、サビの片鱗もないのは何とも致し方ない。丁度西行の作品からマゾヒズム的サビを払拭しようとする企てが無理なように――。