2016年12月20日
犬(1) 結城哀草果
明治から大正にかけて、私の隣村の門伝部落に、海津喜兵衛といふ理髪師がをつた。この人はその時代なかなかの文化人で、その生活がなにもかにも前向きであつた。その当時では、東北の辺土でバリカンで髪を刈ることだけでも、文化的意義が充分あつたのである。
そして梅津理髪店にゆくと、その時代ではどこに行つても、二度と見られないほどの、来品の大きな柱時計が店の正面に掛けてあつた。また客が髪を刈り、髭を剃つて貰う時に対ふ鏡が、十二尺幅の大きな舶来品で、横浜から直接送らせたものだと、梅津は誇りとしてゐた。その明治、大正時代からの時計と鏡とを、息子の軍治が譲り受けて、今も梅津理髪店に現存し、大きく役立ってゐる。その外に二、三人の力では動かせないほどの大きな銅の火鉢があつたが、戦争の際に徴発されて今は影をとどめない。