2017年1月4日
続鶯系図(2) 板倉靹音
しばらくすると評判を聞いて浅井のおじいさんがやって来た。来てみると、ああでもない、こうでもないと大変な騒ぎである。浅井老人はしばらく鳴き声に耳を傾けていたが、これは玉司の子で、泥鰌為が前に会に出したことのある鶯だと言った。他の連中は承服しなかった。為さが鳥を会に出したのはもう何年も前のことである。しかもあの時はモンで(中音・高音のみを鳴いて下げを鳴かないこと)ばかりいたので為さは恥じて中途で取り下げて帰ってしまったではないか、あの鳥はあれでおしまいで、第一今日まで生きていようとも思われない、玉司の系統もあの鶯でおしまいになったはずだ。
浅井のおじいさんは静かに言った、そんなにわしの言うことが信用できないのなら為さに聞いてみたらどうだ、為さも会に来ているだろう。それがよかろうということになり二、三人が代表として泥鰌為に聞きに行くことになった。
玉司と言うのは、その道の人に言わせると、後にも先にもあれほどの鳥はいなかったという鶯である。名鳥と居われるほどの鳥はその殆んどが、一代の名人が精根をかたむけて作りあげたものであるが、玉司の場合はだいぶ事情がちがっていて面白い。