2017年1月27日
失われた自然(3)-近ごろ感じてゐること- 亀井勝一郎
私たちはこの辺で、もう一度「自然へ帰れ」といふ言葉を思ひ出してもよささうである。それは外的な自然だけでなく、心の自然への復帰でもなければなるまい。たとへば文学、絵画、彫刻、映画など、すべてにわたつて、突飛なもの、異常なもの、誇大なものの追究が目だちすぎる。何もかもひどくゆがんでゐると言へないだらうか。平常のあたりまへのことでは、もはや関心をひくことが出来なくなつたのか。
人の注意をひくために、一種の刺激物をまきちらしてゐるやうなもので、それは次第に度をつよめ、遂には中毒症状を呈するところまで行くだらう。換言すれば、私たちはひどく鈍感な人間になりつゝあるといふことだ。都市美とか自然美についても、人の心についても、すべて異常な変形によつて感覚を刺戟されなければ反応を呈しなくなつたとすれば、あきらかに精神の衰弱、鈍化現象と言つてよい。
私たちはもつと平凡に、そして自然の状態とは何かを、日常的に考へる必要がある。