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2017年1月31日

スペイン巡礼の旅① プロローグ 影山 喜一

  初めてスペインを訪れたのは、18年前、つまり1999年の7月であった。マドリッドにアパートを所有する友人が招いてくれた。マドリッドはもちろんトレドを回った後、是非にと勧めたのがスペイン北部である。サント・ドミンゴ・デ・シロス修道院で荘厳なグレゴリオ聖歌を生で聴き感動し、ブルゴスの大聖堂のステンドグラスを堪能したところで急にストップがかかった。同行した友人が体調を崩し家に戻ったのである。しかし、彼は、サンセバスティアンとサンティアゴ・デ・コンポステーラに宿泊先を手配していた。
  サンセバスティアンを起点としてオンダリビアやトローサで美食の日々にのめり込んでから、列車のコンパートメントで揺られて海沿いにサンティアゴ・デ・コンポステーラを訪れた。恥ずかしながら未知のまま突然放り出されてしまっただけで、当地がキリスト教三大聖地の一つであるという知識もなかった。ところが、旧市街に足を踏み入れるや否やひっくり返る大騒ぎぶりに驚く。聖ヤコブの日(7月25日)という祝日であることは、予約してあったパラドール・サンフランシスコの受付でスタッフに教えてもらい知った。
  その際、大きなリュックを背負う男女がたくさん群がる光景に興味をそそられた。跳び上がったり抱き合って喜びを爆発させるのは祭りの常で不思議ではなかった。ただ涙でくしゃくしゃの顔には少なからず違和感を覚えた。巡礼の長旅を数週間、時には数か月続けた末の慟哭であると聞かされても、キリスト教における巡礼の意味が理解できないのでピンと来ない。もっとも、子供の頃に日曜学校で毎年クリスマスの劇で脇役を度々演じた想い出があり、大学でギリシャ語の教鞭をとる同盟教団の牧師と付き合った経験もある。
  どちらかというとカトリックよりもプロテスタントの周囲でウロウロしていたため、サンティアゴ・デ・コンポステーラを目指す巡礼の知識が乏しかったのかもしれない。ともあれ、ユーラシア大陸の西端にある聖地をめぐる巡礼談義と初めて触れたのが、18年前の大祭そのものの直接体験であった、という偶然は滅多にない巡り合わせではないか。なにか運命的な出会いのような気がする。また、人波に揉まれ強烈な香りでクラクラしつつボタフメイロ(大香炉)のスウィングを観たショックは、今も身体の奥底で蠢いている。
  大編成で押し掛ける日本のテレビクルーの取材を受けたが、マイクを向けられたにもかかわらずすんなりと答えられない。予備知識が少な過ぎて何も話せなかったのである。困惑よりは苛立たしさを感じた。口にはしなかったけれどわざわざ日本から出向くような出来事なのか、と逆にこちらが訊きたいくらいの心境であった。後日、泊まったホテルの企画する近隣の散策ツアーに参加したが、ガイドの英語のひどさもあってほとんど記憶に残っていない。サンティアゴ・デ・コンポステーラは、10数年間遠い彼方に消え去っていた。
  振り返ると最初の出会いから一昔以上のブランクがあったものの、巡礼やサンティアゴ・デ・コンポステーラがここ数年身近になった。サンセバスティアンやオンダリビアで味わった料理の数々が忘れられず、だいたい隔年のペースで周辺の地域を含め1週間程度滞在し楽しんでいる。ビアリッツで手配したレンタカーでミシュランの星付きレストランやバル梯子のできる街を回る。その際、必ず顔を出す観光案内所のカウンターに並ぶたくさんのパンフレット類は、散逸しがちな思い出を繋ぎ合わせる良質の接着剤といってよい。
  従来は、撮影した写真群を記憶の断片と照合するのが大仕事であった。しかし、スペインの歴史や文化に対する造詣が浅いため、なんとなく上滑りした感動の反芻で終わってしまう。この物足りなさを埋める手段はないのか。観光案内所でかき集めた資料をペラペラめくるうち、充実した内容と巧みな説明スタイルに魅了された。特にバスク地方については自治州政府が、主要3都市サンセバスティアン・ビルバオ・ビトリアを網羅する情報の提供に熱心である。スペイン語・英語・フランス語・ドイツ語の資料が用意されている。
  資料の中で娯楽中心の観光に加えて最近、ジオパークやアウトドア・ツーリズムと共に巡礼行脚が比重を増す。ちなみに英語とフランス語のタイトルは、Way of St.James とChemin de Compostelle である。ここで紹介されるのは、所謂「フランス人の道」ではない。バスク地方を通る聖地への道は、巡礼の起源といわれる814年にアストゥリアス王アルフォンソ2世が聖ヤコブの墓を訪れたルート「プリミティボの道」と、「フランス人の道」に次いで有名な「北の道」の2種類である。両者とも途中で「フランス人の道」に合流する。
  私の旅の主眼は依然、グルメの探求に置かざるを得ないけれど、70歳を過ぎると胃袋以外にも興味が移る。狭義の味を離れて器や調度品や部屋の雰囲気・内装などで足りず、美味しく飲食するための日常の体調管理や前後の身体運動にまで広がる。さらにとどのつまり五感を刺激する芸術鑑賞や知的欲求を満たす歴史・宗教も登場する。一連の流れに乗ってバスクを渡り歩く私の志向も、観光案内所の資料の中でも新しく追加された項目に向かう。ジオパークは解説を聴き取る必要があり、語学力の限界によって選択肢から除かれる。
  常識レベルで比較しようとすると、五感と知的欲求の活性化をもっぱら求めるならば、やはり巡礼行脚がアウトドア・ツーリズムを凌ぐ。しかも、前者のプログラムは驚くべき多様性を示し、「イグナチオの道」なる選択肢を含んでいる。当地の出身でイエズス会の創設者であるイグナチオ・デ・ロヨラの聖地ロヨラとカタルーニャのモントセラ修道院近くの聖イグナチオ館を結ぶ675kmを30日掛けて踏破する企画である。余談ではあるがサンティアゴ・デ・コンポステーラを目指すものも、すぐ横にちゃっかり並べられている。
  バスク地方に関連する巡礼行脚の情報を観光案内所でいろいろ集め、幾分興味と知識が深まるにつれて18年前の経験も見直され始める。加えてゲタリア周辺をドライブしてサンセバスティアンに戻る途中のモンテ・イゲルドで、何度となく北の道を歩きサンティアゴ・デ・コンポステーラに向かう巡礼者と遭遇した。4~5名のグループで隊列を組み黙々と歩く光景は、大祭の夜に涙を流して感激する姿と異なる印象である。聖地に到達しようと意気込む迫力はもちろんだが、奥に秘めた無私と献身の信条がひしひしと伝わる。
  遠い追憶と眼前の現実で顕著なずれが生じるのは、私自身の中で巡礼や聖地に対する見方が変わった結果に違いない。帰国後、久しく手に取っていない聖書から聖ヤコブの記述を拾い読み、スペイン史におけるレコンキスタ(国土回復運動)をかじった。また、なぜその本がよりにもよって我が家の棚に辿り着いたのか不思議で堪らなかったけれど、『スペイン巡礼の旅:パリからサンテイアゴ・デ・コンポステーラへ』を発見し紐解きもした。本気で実行とまではもちろん行かないが、俄かに心中が騒がしくなったのは確かである。
  もう一つ転機がやって来た。すっかり気に入ってサンセバスティアン・オンダリビア・ゲタリアなどのバスク地方を度々訪れるうち、実はバスクの文化や活動がピレネー山脈を越えスペインだけでなくフランスにも行き渡る点がわかった。バスクの装飾品を手に取ると、同じ模様がよく7つ並んでいる。それは、スペイン領の4地域(バスク州のアラバ・ビスカヤ・ギプスコアの3県とナバーラ州)とフランス領の3地域(ラブールとバス・ナヴァールとスール)を示す。国が2つに分割されても民族は1つと団結を誓う証である。
  区割りとしては4:3となっているが、実質的な力量はスペイン側が圧倒する。そもそも人口にしてからが、スペイン側270万人、フランス側30万人の9:1である。そのボリュームの上に立ってスペインでは、独立を求めるETA(バスク祖国と自由)が武装闘争を行う。地下組織と合法政党を使い分ける方式は、北アイルランドのIRAと似ている。フランスのバスク人たちは、隣国の同胞ほどに過激でない。しかし、義務教育課程でバスク語の授業を正規カリキュラムに組み入れる運動などが粘り強く続けられてはいる。
  スペインに入国する際、パリ経由でビアリッツ空港に降りてレンタカーを確保し、ノンストップでサンセバスティアンやオンダリビヤを目指す。ただ着いて通過するに過ぎないが、フレンチ・バスク圏にいたわけである。やがてバスクをめぐる情報量が増えるにつれて、フランス側がスペイン側に劣らないことを知る。そこにはフランスで最も美しい村とかミシュラン星付きレストランが散らばる。共通する部分も少なくないが、独自の風習やイベントも多い。ひいき目なしにフランス側の方が万事洗練されているのは間違いない。
  ビアリッツからレンタカーで2時間程度のサン・ジャン・ド・リュズやサールやエスペレットを見飽きた末、フィリップ・アランビード率いる有名店レ・ピレネーを目当てにサン・ジャン・ピエ・ド・ポーまで遠征したくなった。料理は正直なところ、あまり感心しなかった。閃きを欠き古色蒼然という形容詞がぴったりの印象である。けれども、モネのタッチを彷彿させるニーヴ川沿いの風景は、夢の世界に引き込まれた気分で満たしてくれる。1時間足らずで歩いて回れる小ぶりの街であるが、何時間も離れたくない魅力がいっぱい溢れる。
  朝早く起きてシタデール(城塞)に登りピレネーの稜線を眺めた帰り、路地の一角でガヤガヤ大勢が群がり立ち止まって話したり出入りしている。大きなバックパックを背負う男女もいる。何事かと近づくと巡礼者たちのようである。一瞬の間を置き気づいた。ここはサンティアゴ・デ・コンポステーラへの巡礼路の起点に他ならない。しかも、多くの巡礼者は、フランス各地から先ずバイヨンヌに行き、そこで列車に乗り換えてサン・ジャン・ピエ・ド・ポーに来る。「フランス人の道」の起点であり、同時に交通の要所ともなっている。
  もっと詳しい事情を直接訊きたかったが、事務所のスタッフは多忙そうなので諦める。傍で身支度をする東洋人の若者に念のため確認する。韓国の大学生という彼は、サンティアゴ・デ・コンポステーラを目指す巡礼が母国で大流行で、春休みを利用し自分もチャレンジするのだと答えた。なぜ独りなのか友達はいないのかと追い打ちをかけると、いろいろ考えたいから独りがいいと語る。シャイといわれる日本人の学生も、こんな具合に年配者とやりとりができるであろうか。当地の巡礼者たちは、モンテ・イゲルドの連中と比べると非宗教的というかオウトドア臭が強烈である。
  サン・ジャン・ピエ・ド・ポー‐サンテイアゴ・デ・コンポステーラ間の距離は、ガイドブックによれば789.1kmである。1日25km歩いたとしても31.5日もかかる。眼の前には若者たちばかりでなく頭がツルツルだったり真っ白の高齢者も少なくない。彼らには、過酷極まりないロングトレイルを歩き通す自信があるのか。とりわけ初日早々、ナポレオン・ルートで1,250m、易しい国道沿いルートでも855mの標高差を踏破しなければならない。現在の私の能力では無理である。一体どうしたらよいのか。
  すっかり落ち込んでしまい、傍らの岩の窪みで頭を抱える。しばらくして思わず苦笑いする。いつしか私は、巡礼行脚をする気になっていた。そして、無邪気に自分の無能さを嘆いたわけである。当時を幾度となく振り返っては我ながら呆れる。もともと状況に容易く左右される傾向はないではなかったが、サン・ジャン・ピエ・ド・ポーの出来事は度が過ぎた。しかし以後、「フランス人の道」にチャレンジする術や方法をあれやこれや検討し始めた。後戻りできないようにロングトレイル用の道具やハウツー本を少しづつ買い求めた。
  健康と体力作りのために早朝、5時30分~6時45分に我が家の近所を歩いた。背中には6.5kg程度のバックパックを背負う。教科書に倣って下着・シャツ・高機能タイツ・スラックスなどを季節に合わせて着込む。5本指靴下・トレイル用ソックス・スパッツ・帽子・手袋も忘れない。靴は、イタリア製の逸品をかかりつけの靴屋でセミオーダーメイドする。シュラフ・レインウェアー・トレッキングポール・ウェストポーチは、専門店で購入した。その甲斐あってか、2年間で体重が8kg減り持久力も若干強化された。
  週末は月2回ほど、浜松近郊の愛知県との境に位置する湖西連峰で実地訓練を行った。最高峰の神石山は、標高400mとさほど高くないけれど、急坂や瓦礫が多く初心者には結構厳しい。尾根筋には椿の大木や犬柘植の群生地など、見どころ満載である。山頂のベンチに座り浜名湖の絶景を眺めつつ食べる特製弁当(おにぎり)の味は例えようがない。登りと異なるルートで普門寺まで降りるのが、また一苦労である。分厚い落ち葉に足を取られたり水の流れる岩の合間で滑ったりの連続で、息も絶え絶えの状態で両膝を笑わせながら辿り着く。
  こうしてハード面が徐々にではあるけれど態勢を整えつつあるものの、妻の仕事の調整が予想外に難航を続けて、決定的役割を果たすソフト面は定まらない。1ヶ月の休暇の取得が夢のまた夢であるとすると、サン・ジャン・ピエ・ド・ポーの出発は不可能である。こちらは為す術なくただ見守るしかない。やっと3週間という数字が固まった後、検討は次のテーマの出発地と実施時期に移る。もっとも、仕事の調整は主に代役の手配であるから、実施時期次第で再調整を必要とする場合が生じる。2週間の巡礼行脚と予備2日間をレオン出発で行う案が一応決まった。
  レオンとサンティアゴ・デ・コンポステーラの間は317.5kmである。その距離を14日間で踏破するには、1日平均22.7kmのペースとなる。日頃の訓練に照らしてもさほど無謀な数字ではない。ただし、飽くまで怪我や病気にならないと仮定しての話である。その種の事態に対するバッファが2日間の予備で適切か否か。いささか悩ましい。もっとも、私たちは、更に解決の難しい問題に直面する。3週間に渡る留守の際、2匹の愛犬ナノとリュックの面倒を誰に頼んだらよいかである。11歳のナノは、とても神経質で他所の人の与える食事を拒む。
  飼い主とペットの関係は、当事者にしてみると介護や育児と変わらない。引き受けてくれる施設が増えるのは有難いけれど、外注しようにもできないケースや課題も結構多い。数年前に旅行から帰ると、動物病院に預けた亡き愛犬リッキーが精神疾患の症状を示した。アウシュビッツ収容者と似たトラウマが生まれたらしい。それ以来、ビジネスライクな外注はしなくなった。今回も随分逡巡し右往左往したが、義妹の桐原まゆみが面倒を見てくれ窮地を脱する。なんとかソフト面も山積する難所をクリアした。残った飛行機や宿舎の手配は、機械的に処理可能である。これで障害は、すべてクリアされた。



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