2017年2月8日
随筆二題(8) 斎藤玉男
ルーカス・クラナッハのヌード像と歌麿のそれ
尤もこれには一寸した補足が要るかと思う。歌麿は一面「笑い絵」の達人であり、文化文政期の頽廃期芸術の代表者でもあるが、さればとてこの事は彼が芸術への誇りを併せ担わなかったとの証しにはならない。もとよりあの時代に芸術などと言う観念も流通していなかったし、彼が正面切ってそんな誇りを掲げたこともなかったとしても、彼の意識のどこかの隅におぼろげに「文人画何するものぞ、御絵所の末流何するものぞ」との気負いはあったことであろう。
考えようによっては、ダビンチとても純粋の画芸術の人でなく、時には左官屋の上置きであり、寺院建築の下請けをも引き受けたクラフツマンでもあった。アンジェリコが果して宮廷塗り師以上の芸術的自負に燃えていたかも疑わしい。要は時代の篩に掛けられて見直され見直されてゆく道程で、作品の格付けが一段々々上がることが目安となる外はない。ただし、死後何世紀も経て、作品が掘り起こされて、それが本人にとって何の意味があると言うのか。掘り起こした後、人の自慰のためには聊かなり役立つではあろうが。