2017年2月9日
汽車二題(1) 山口誓子
1.丸山薫の詩
国鉄の快速電車に乗つて毎日大阪へ行く。毎日乗つてゐると、その最後尾の車両は空いてゐて必ず座れるから大抵その車両に乗る。
しかし時には旅行団や修学旅行の学生群が乗ってゐて座れぬことがある。そんなときは仕方がないから、後尾に立つてゐる。そこから硝子張の車掌室越しに通つて来た鉄路が見える。
夏の盛りに、私はそこに立つてその狭い鉄路が段々狭くなり、果の果ではくつついてしまふのを見てゐた。そのとき実に心細い気がした。末広がりでなくて末狭(せば)まりだからである。明治の日本政府は何故狭軌鉄道などを採用したのだらうか。そしてあとあと昭和時代の私を悲しませたりするのか――と他人が見たらさだめし悲しい眼ざしで私は遠ざかつてゆく鉄路を眺めてゐた。
そのとき
炎天を来し狭軌道実に狭し
といふ句が出来、ややみづからを慰めることが出来た。
俳句作家の悲しみなども大したことはない。その程度である。