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2017年5月1日

スペイン巡礼の旅④ 第3章 巡礼路かロングトレイルか 影山喜一

巡礼6日目(モリナセカ⇒カカベロス) 
  5時30分に起床。アルベルゲよりもオスタルを選びたくなる理由は、気兼ねなくやりたいことを自分の好きなやり方で実行できるところにある。日本人としては他の眼を気にしないタイプであるが、すぐ横で寝ている人たちを起こさないよう配慮はする。慣れてはきたがストレスは溜る。それが精神面のみならず肉体面でかなり負担となる。したがって、昨夜のディナーの素晴らしさを残しているせいもあるが、熟睡した効果も加わりとても爽快な気分で宿を後にする。部屋の鍵は、約束した通り受付カウンターに置いてきた。
  オスタル前のバルからは、若者たちが昨夜大騒ぎした余韻がすっかり消えている。彼らが囲んだテーブルも座った椅子も、屋内に収納されたのか跡形もない。両側にたくさんの店舗の並ぶ通りは、無音空間のように静まり返る。大部分を占める飲食店や旅館は、看板がかかるものの昼間も閉まっていた。ヴァカンスしか営業しないのだろうか。しかし、巡礼者主体の客は、そもそも一般観光客ほど浮かれた金使いをするはずがない。ヴァカンス間近の現在にしてからが、軒並み休業状態で個々の店主はもちろん街自体が成り立つのか。他人事ながら心配になる。
  人口900人のモリナセカの産業構成でどのくらいの割合を観光業が占めるのか、さっぱりわからないので、一介の巡礼者の分際でいい加減な見解をもっともらしくひけらかすべきではないのはもちろんである。ただ中心をほんのわずか離れる地域に建つ家々は、あにはからんや極めて都会風で裕福な雰囲気を漂わせる。農家ではないような印象を受ける。ひょっとするとブドウ園のオーナーとか醸造メーカーの当主かもしれない。そういうことであれば、観光業も加わりこの街は、そこそこの豊かさを享受可能なのであろう。
  このやや気懸りなメインストリートの外れにちっぽけな箱庭もどきがある。可愛らしい植栽の施された心臓部にカミーノ・デ・サンティアゴと四国八十八か所の友好を記念する石碑が立っていた。詳しい経緯や趣旨はもとより知る由もないけれど、粘り強く頑張ったに違いない人物の功績を讃えたい。宿を出たときよりもさらに気持ちが昂る。しかし、歩きはじめた道は、大型貨物車が楽にすれ違い可能な道路の歩道である。味気ないことときたら夥しい。暑さが我慢できなくなり着替えていると、欧米の巡礼者が会釈し追い抜いて行った。
  8kmほど進むとポンフェラーダに着く。エル・ビエルソ郡の中心都市で人口7万人弱。巨大なビルが競って聳える間を大小無数の自動車が走り回る。とんでもない場違いな場所に迷い込んだ雰囲気である。朝食にありつけそうなバル/カフェを探すが、巡礼路の周囲を必死に見渡しても成果はない。ここで標識を無視し別の方角に逸れる勇気もなく、ひたすら黄色の矢印に導かれるまま前進あるのみ。散々歩いた末、やっと教会と古城が並ぶ広場に遭遇。その一角にあるカフェテリア・パナデリア・リエバナで腹を満たした。
  店の外でフィリピンの集団が陽気に笑顔でじゃれている。目が合うと高々と手を伸ばして挨拶する。食べ物を手にしていないから、食後の社交時間なのだろうか。欧米系はもちろん中南米系や東洋系(台湾・韓国)とも異なる人懐っこさである。まわりを静かに和ませる振る舞いが、なんとも心地よい。自然と顔が綻んでくる。店内は、人いきれでむせかえる。コーナーのボックスに並ぶパン・ケーキから選ぶところがパン屋主体らしい。飲み物は、向かい側のカウンターで頼む。明るくシンプルでモダンな調度はスターバックスを思い出させる。
  巡礼者のグループにくっ付いて教会の右側の石畳を下ると、あろうことか路は左右に枝分かれし両方で黄色の標識が光る。目を凝らすと左が自転車向けの道につながり、皆がぞろぞろ進む右は歩行者向けと書いてある。同じ類の表示は他の場所でも度々見掛けたけれど、少なからぬ自転車族は歩行者向けに割り込んでくる。どうやら自転車向けの路は、旅人が是非立ち寄りたい名所や旧跡に乏しく、遮二無二目的地に導く無味乾燥な風景が続くらしい。そこで、観光気分に駆られるバイシクリストは、歩行者の隊列に出入りを繰り返すのである。
  今回、歩きはじめて以来、もっとも強い日差しでたぶん気温も相当上昇しているだろう。とにかく暑くて猛烈に汗をかく。首にタオルを巻くが、あまり役に立たない。半袖のTシャツは濡れがひどく、下半身まで容赦なく沁みてくる。すぐにも脱いで絞りたくなる。みるみる体力が奪われ、気力も連動して萎える。昼前にもかかわらず一日分の疲労を味わい尽くす。コンブリアノス、フエンテス・ヌエバス、カンポナラジャと休み処が目に入るや、まったく躊躇しないでバックパックを降ろし冷たい飲み物を注文する始末である。
  高速道路A6号線に架かるトンネルを潜って左寄りにしばらく登ると、両側にさほど背の高くない緑のブドウ畑がこれでもかとばかり広がる。木製のつっかえ棒にぴんと細い針金を張った畝が、数えきれないほどの列をなしている。スペインの畑にしては整然かつ威厳を備え佇む者を圧する。フランス(ブルゴーニュやボルドー)やイタリア(トスカーナやベネト)と比べると、先入観が災いする恐れなしでないとはいえ、随所で枝の剪定や盛り土が不揃いである。もっとも、それはご愛敬と笑って済ませるべきかもしれない。
  6km近く途切れない緑の絨毯を踏み続けた先に、街らしい遠景が一歩進むごとに具体的な像を結ぶ。やっと今夜の宿泊地であるカカベロスに到着した。人口5000人弱でレオン県では大きい都市の部類に入る。北部スペインで威張っているサンタンデール銀行も支店を設ける。小ぶりの広場をぐるっと囲んで野菜/果物・精肉・家具インテリア・衣料・雑貨・薬・玩具など、都会にあるべきジャンルの店舗が一通り揃う。運悪く時間がシエスタにかかってしまったからか、すべて扉を閉じて取り付く島もない有様である。
  ここであれば自炊も抜かりなくできるに違いない。食材は調味料を含めて、恐らく入手可能だろう。缶詰やカップ麺に頼らない準本格的料理が作れそうである。もっとも、スペインは、缶詰が信じがたいほど充実する。缶詰によるメニューを掲げるレストランすら存在する。話が横道に逸れた。ただし、問題がまだまだ残る。多くのアルベルゲの場合、調理器具や盛り付ける容器が整っていないとか。コンロがポンと置いてあるだけの台所でどんなご馳走が生まれるのだろうか。自炊OKを信じたら、とんでもない目に合う。
  とりあえず目的地に辿り着いたものの、アルベルゲの在り処がさっぱりわからない。中心街を3周ぐらいしたところで我慢できなくなり通行人に訊ねると、今いる方角を真っ直ぐ行って横にある石橋を渡れれば右側に現れると教えてくれた。公営のアルベルゲ・デ・カカベロスは、中央の広場を囲んで2人部屋が馬蹄形に連なる不思議な建て方だった。馬蹄の切れた窪みに教会の奥部分が喰い込んでいる。広場の半分を占めるのは、洗濯物を広げて吊るすたくさんの針金製の物干し台である。早く着いた巡礼者たちが構内を足繁く行き来する。
  私たちの直前に宿泊の手続きをした高齢の女性は、自分の身体より大きな袋を左右によろけながら背負っていた。巡礼路をああやって歩いてきたのだろうか、と憐れみと疑念の混じった思いで見守った。そのうちどこからともなく20歳そこそこの青年が現れ、代わって荷物をもち彼女をアルベルゲまでエスコートした。親類縁者かボラティアか。いずれにせよ、予め連絡を取り合い到着を待っていた節がある。二人は、オスピタレロと長々話していた。それにしても巨大な荷物を背負う力は、いったいどこから出てくるのか。
  なにがなんでも聖地を詣でるといった気迫が、およそ現代人には想像しがたいエネルギーを与える、と説明することができないわけではない。ある種の奇跡である。心の持ち方次第で人間が途方もない力を発揮する、とする説は正直なところ好きになれない。しかし、いくら突っ込んで詳細に分析しても、そこに落ち着いてしまう場合もある。彼女と語り合いたいと心底切望した。パワーの秘密とまでいかなくても生活信条ぐらいを聴かせてもらえないだろうか。コミュニケーション手段の欠如する無能ぶりを改めて思い知らされた。
  両隣を隔てる板は天井より低く、すべての部屋の上部が繋がっている。右側は、早く寝着いたのか静寂そのもの。左側は、女性同士の笑いが絶えない。50cmほどの空間を挟んでベッドが2つ並ぶ。僅かなプライバシーを保持しつつ共同生活のニュアンスも持たせる苦肉の策といえそうである。とても考え抜いたデザインと感心してしまった。夕方の5時であるが空腹は耐え難く、晩飯を求めて出かけると決める。外に出ると明るいどころか、太陽の怒りは鎮まる気配がない。腹が減っているばかりか、喉の渇きは最早限界である。
  適当な食事処がありそうにないとみて、仕方なくオスタル・プルペリアに決めた。レストランのオープンは6時なので、薄暗いバルで手を打つしかなかった。メニューを必死に睨んでも、はやる食欲に見合うものがない。結局、パエリアと豚の胡椒焼をビールと赤ワインで味わう羽目になった。およそサービス業に不向きなマネジャーの立ち居振る舞いも湿った雰囲気をさらに悪化させる。パエリアは、冷凍ものを解凍した加工品である。遠路スペインを訪ねたにもかかわらず、こんなパエリアをディナーとするのが悔しくてならない。
  抑えがたいどす黒い興奮を鎮めるべく、クア川に架かる橋をわざとゆっくり渡る。アルベルゲの手前にある別荘といってよさそうな邸宅は、庭の片隅に古い水車が飾ってあったり、川辺に向かい緑豊かな木々がせり出し、さほど美的とはいえない中心街の味気なさを和らげてくれる。橋を渡り終える頃には、すっかり気分も落ち着く。そのままアルベルゲに戻るのは大人げなさ丸出しといささか恥じ入り、アウグスティアス教会で若干の反省と今日の無事を祈ることにした。教会とアルベルゲが隣接する意義を実感する。
  懺悔と祈願を兼ねた時間の後、アルベルゲの広場は、所狭しと散乱する洗濯物を干す針金の台が折り畳んで片隅に片づけられ、備え付けのコンロを使ったバーベキュー・パーティーで盛り上がっていた。ちょっぴり顔を出そうかと心が揺れ動いたけれど、一日の長歩きの疲れを癒し足の肉刺も乾かしたかった。持病の痛風と逆流性食道炎の治療薬を飲んで、パエリアで汚れた歯を磨き温和しく床に就いた。お隣さんたちは両方とも、熟睡したのかコトリとも音がしない。パーティーの賑わいは、無事への感謝の通奏低音となった。

巡礼7日目(カカベロス⇒ベガ・デ・バルカルセ) 
  6時30分に出発。扉を開けると薄明かりが射す。今日も晴れみたいだ。ガイドブックによれば悪天候続きのはずなのに、こちらに来てから雨が少なくて大助かりである。広場はすっかり片付いている。塵一つない。教会の前で3~4名がたむろする。とても興味深いのは、メンバーが頻繁に入れ替わることである。それは、カップルについてもいえる。日本の通常のケースで親密な関係が、どうやらここでは一時的なものらしい。いとも容易く親密としかみえない関係になる反面、あっさり疎遠に様変わりしてしまうケースが多い。
  関係づくりの国際比較を試みるつもりはもちろんない。ただ何日も何日も同じ道を同じ方向に歩くのだから、道中で繰り返し顔を合わせる個人やグループが出て来る。同じ顔ぶれが組み合わせを変えなければ、あの人やあのグループがいるいないで済む。けれども、個人だったはずがグループに入ったり、グループにいた人が独りで過ごすと、お節介焼きの日本人としては、なにかあったか大丈夫なのかとなくもがなの心配をする。観察される側からみれば、余計なお世話にちがいない。退屈で堪らないときは、その種の余計なお節介で気を紛らす。
  舗装されただんだら路を登り2kmちょっと行くと、数軒の家がちょこちょこっと集まるピエロスである。いつの間にか舗装が消えてぬかるんだ泥の土に一変し、牛の糞尿の臭いが麻酔効果を発揮し一瞬失神状態に陥る。臭いばかりでなく固形物も、足の踏み場がないほど転がる。ついには糞と土の区別など不可能になる。それとともにこちらの心構えが変化する。糞を踏むことなど取るに足りない。問題は、すべってバランスを崩し転倒する危険である。身体中が泥まみれになるのみならず、腰や股関節を再度痛めたら致命的だ。
  さらに2kmで突き当たるバルトゥイジェ・デ・アリーバ村を通過すると、前方に厳めしくも堂々とした城郭を包み込むかたちで結構多くの家が重なる。入口にサンティアゴ教会のあるビジャフランカ・デ・ビエルソである。早速、エル・カスティージョというカフェの変わり映えのしないメニューで空きっ腹を満たす。今日は体調を崩して以降で最長の25km強を歩く予定だから、朝食が含まれるにせよあまり長時間道草を食っている余裕はない。多かれ少なかれ他の客たちも、ほとんど無駄口を叩かず三々五々スタートする。
  若干離れた街の出口でブルビア川を渡ると、どの道を行くかについて3つの選択肢がある。400m前後急坂を登らねばならない2つは、腰や足指を慎重に庇い庇い歩いている現状からして問題外といわざるをえない。ただし、唯一残った選択肢は、1本の紐を撚り合わせる糸さながらに国道Ⅵ号線と絡む。最初の10分ぐらいは木漏れ日の散らばる森を抜ける感じでよかったが、たちまち懸念した通りの味気なさと危険の混ざった光景が繰り広げられる。肩の高さのコンクリート塀が、安全のためとわかっても空しさを増す。
  右側に国道があるので、逆方向の自動車が手前、同方向へ行くのは向こう側である。したがって、自転車の巡礼者群は当然、向こう側を走り去る。塀で見え隠れするために気づかないか、離れているから声が届かないと思ってか、そのまま黙って行ってしまう場合が多い。だが、ときどき「ブエン・カミーノ」と大声で挨拶するバイシクリストもいないではない。単調な動作の繰り返しで朦朧としかかった意識が、優しく現実の世界に呼び戻される。ひとりぽっちじゃない、一緒に進む仲間がいる、と奇妙な安堵感と連帯意識が湧いてくる。
  国道を渡って韓国の若い女性がやってきた。私たちの選んだルートと別ルートが合流するのは、もっと先のはずなのにどうしたことかと不思議である。カカベロスのアルベルゲで洗濯する彼女をみた。勤めていた会社の待遇とか仕事の在り方に疑問を抱き、いろいろ掘り下げて考えようと巡礼を思い立ったらしい。韓国では個人も組織も短期間に業績を求められ、厳しい競争のなかでしのぎを削りつつ命までも犠牲にする。最終的に信じられるのは、血縁と神のみだ。韓国人の巡礼好みは、宗教だけでなく社会の成り立ちに原因があるのかもしれない。
  すでに述べたが現在、私たちの歩くのは、3ルートのうち標高差がもっとも少ない路である。左側ルートの頂上ドラゴンテ峠の標高1,050m、右側のプラデーラ峠930mに挟まれ、深く抉られた溝の底をとぼとぼ進んでいるかたちだ。もっとも、私たちのルートは、すぐ左下を滔々とペレフェ川が流れ、両岸を覆って鬱蒼と木々が繁るため、たまになぜか緑の切れる場合以外は、右側遠くの尾根しか景色の変化がない。そろそろ昼近くかと思われる頃合い、尾根の所々でヒースが満開の桜さながら薄ピンクに染まっていた。
  色のニュアンスは百日紅によく似ていたが、双眼鏡を持ってくればよかったと悔しくなる。それと関連して今回の巡礼の旅で面白い事実に気付いた。ビジャフランカ・デル・ビエルソを出発した国道Ⅵ号線の路すがらでだけ、遥か彼方に上方の自然の景色を延々と辿ったのである。同様に街並みをめぐっても、ビジャフランカ・デル・ビエルソに近づいた際が唯一の経験ではなかったか。他の場合はすべて、水平線上あるいは眼下を多方向に広がるあれやこれやが対象であった。無事帰ることができたら、地形図で調べてみたい。
  明日、イラゴ峠と並んで難関と評されるオ・セブレイオ峠に挑戦するつもりだ。今夜の宿泊地は、その挑戦の最前線としてベガ・デ・バルカルセかルイテランかラス・エレリーアスのいずれかにしようと考えていた。それらと出発地ビジャフランカ・デル・ビエルソの中間に当たるトラバデロで、歩きつづけて限界に達した腹具合と腕時計の示す針がどんぴしゃり正午で重なる。オスタルを兼ねるバルのクリスペータに立ち寄り、肩に喰い込み持て余し気味のバックパックを降ろす。さて、なにを頼もうかとぐるっと一巡する。
  壁際のテーブルでおしゃべりに熱中するアメリカの学生3人組が目に留まる。赤毛で太った少女と寡黙でうわの空の若者とのっぽの黒人青年である。身振り手振りよろしく話すのは黒人青年であり、コロコロ笑いながら少女が適当に相槌を打ち、無表情の若者は聞いているのかいないのか定かでない。彼らの前にある豆の煮込みが空きっ腹を優しく温めてくれそうなので、ミックスサラダとボカティージョに加えてそれを注文することに決める。ボストン出身と自己紹介する黒人青年を以後、妻はこっそり“オバマ”と呼ぶようになる。
  以後、オバマをリーダーとするグループは、ゴール寸前まで付かず離れず私たちが射程に置く目安となる。必ずしも宿が一緒というわけではない。むしろ違う場合が多い。私たちは、自分自身の体調・気分とか翌日のスケジュールによってオスタル滞在をよくやる。けれども、ワイルドライフを好む学生グループは、節約も考えてもっぱら公営のアルベルゲを選ぶ。宿が別々でも食事の場で見かける。ほとんどのアルベルゲ(特に公営)は、食事を出さないからである。また、脚力のある若者たちは、遅れて出発してもあっという間に私たちを追い抜く。
  やっと旅は半ばを迎えつつある段階であるが、ペース配分と勘所を掴みかけたような気がする。僅かとはいえ休憩時に周りをじっくり眺めるゆとりも多少生まれた。そのせいであろうか次に立ち寄る場所で泊まる直前のバルが、いつの間にかガス入りミネラルウォーターで我慢するカフェから、渇いたのどに染み入るビールを2~3杯煽る酒場へと様変わりした。アルベルゲに着くまでノンアルコールを自らに課したのは、酔っ払いはしないがだるくなって歩きたくなるからである。しかし、少量の飲酒でも今はしゃんと休まず歩けるようになった。
  結局、3つの宿泊地候補のうち、一番手前のベガ・デ・バルカルセをオ・セブレイオ攻略の基地に選んだ。いつもであればざっと村ないし街を予めよく下見したうえで、リーズナブルまたは好みのアルベルゲかオスタルと掛け合う。けれども、この日は違った。美味しそうな料理の絵が描かれた看板に魅入られたのである。ここに並んでいるさまざまなご馳走を存分頼めると思っただけで、他の選択肢について疲れた足を引きずり確かめる気力が失せていた。家の造りに違和感を覚えたものの、再考する粘りは残っていなかった。
  下着と靴下と半袖シャツを洗濯し、裏庭の片隅のロープに干し終えて、これまでの行程の点検を始めたが、頭が働かなくなって眠ってしまう。2時間ぐらいで慌てて起きる。まだ明るかったが洗濯物を取り入れる。庭でテーブルを2つくっつけて7~8名の家族らしいグループが、和やかなホームパーティーに興じている。チラッと並んだ料理を一瞥したが、さっぱり食欲をそそられはしない。話にのめり込んでいるためか、皿はほとんど手付つかずのままだ。ここは止めて晩餐は他所でと決め、身支度を整えて町の中心へ向かう
  人口700人弱の街は、まともなレストランが2軒しかない。道の反対側で宿も兼業するメゾン・ラス・ロカスに賭けた。スペイン時間では早すぎるのか、カウンターの前にがっしりした男性2名が所在無げに立つ。一瞬迷ったけれど、ままよとばかり座った。メニューを受け取ってもわからない。そのうち三々五々と客が入ってきた。気が付くと20席程度のテーブルは、大方埋まった。なんとも芸がないと感じつつ、9ユーロの定食にビールとコーヒーを頼んだ。しかし、大はしゃぎの誤算であったが、具沢山のスープの美味しかったこと。
  料理の素晴らしさに煽られてワインも頼む。ハウスワインではなくリオハの赤を注文する。一般的にハウスワインは割安で巡礼者向きではある。だが、これまでの短い経験によれば、お世辞にも美味とはいいがたい。ましなものもないわけではないが、大体において後悔することが多い。地元民からするとリオハ産のワインは、特別の機会でない限り気軽に注文しようと思わないだろう。けれども、彼らの基準を一応尊重するとしても、生涯で度々は試みない巡礼なる特別事業に挑戦する私たちは、リオハを飲んでOKと納得する。

巡礼8日目(ベガ・デ・バルカルセ⇒ポイオ峠) 
  5時30分に起床。個室だから着替えや準備に気を遣う必要がない。ゆっくりしているつもりでも、アルベルゲの場合よりは速い。それでも寝静まっている他の部屋の滞在者を起こさないよう静かに外へ出る。今日も天気の崩れはなさそうだ。ひんやりした空気がとっても美味しい。泊まったオスタルが入口に当たるため、ちょうど街を横断するかたちになる。道沿いに小奇麗なアルベルゲが2~3軒並ぶ。後悔がよみがえるけれど、どうしようもない。愚にもつかない思いを巡らしつつ進むと、いつしか路がコンクリート舗装から土に変わっている。
  川の流れる音をBGMとして鼻歌交じりに約2.2km行くと、休憩所のないルイテランの集落を過ぎてエレリーアスに辿り着く。珍しく大型機械を動かす気配と規律ある主従のやり取りが耳に飛び込んできた。なんと肥料置き場を改造したような建屋で青い作業服のグループが加工作業で忙しい。若い女性も加わっている。後でつらつら本をめくったところ、ずっと昔にはこの辺りで溶鉱炉を動かしていたらしい。いくぶん周辺の地域より当地の生活水準が高いからか、家々に横づけされている自動車のランクが違ってみえる。
  エレリーアスのエル・カプリーチョ・デ・ホサナというカフェで朝食とする。変わり映えのしない内容は、クロワッサンとスーモ・デ・ナランハとカフェ・コン・レーチェ×2。11.50ユーロ。ガイドブックによれば以後、水平距離ではたった7km前後だが、標高差650mを踏破する必要がある。折り紙付きの難所オ・セブレイロ峠1,330mへのチャレンジだ。数日前に経験した、オ・セブレイロと並び称される難所イラゴ峠は、標高こそ1,515mであるが標高差200mを水平距離20kmで踏破すればよかった。
  最初は微かだったどよめきがだんだん近づいてくる。パカッパカッというリズムに蹄の音かなと耳をそばだてるまでもなく、得意げに馬上で胸を張って微笑む欧米男性の顔がクローズアップされる。馬の後ろで馬子役がコントロール綱を握る。続いてもう一組が現れる。あの様子では巡礼路の最後まで乗りそうにないと睨んだら、案の定、少し先の空き地で乗り手を降ろした馬が休んでいた。乗馬は自転車と並び、巡礼手段として公認されている。ただし、徒歩の100kmよりも長距離200kmを踏破する必要がある。
  中間地点のラ・ファバで右足に体重をかけ過ぎ、横倒しになりかけた身体を辛うじてポールで支える。時々息継ぎがうまく行かず咳き込む。何とか小幅で足を進めようとするが、踏み出す取っ掛かりが容易に見つからない。サポーターをぎりぎり巻き付けてはいるけれど、右の股関節と左の腰がチクッチクッと疼き始める。ラグナ・デ・カスティージャを過ぎると、カスティージャ・イ・レオンからガリシアへ行政区(州)が移る。巡礼路に立つ標識も、サンティアゴ・デ・コンポステーラまでの距離を赤く記す石製のモホンとなる。
  立ち止まる木陰も窪みもないままほとんど意識朦朧とよろけながら歩くと、頭の中で唐突にハンク・ウィリアムズの『I saw the light』の歌声が響いた。「No more darkness, No more night-‐-Praise the Lord, I saw the light」と誘う。気が付けば自分も、無意識に口ずさんでいる。心底、神を賛美したかった。主を照らす光が待ち遠しい。いよいよ限界かなと腹をくくる覚悟になったとたん、土のぐちゃぐちゃ路が敷き詰められた石畳に変わった。あちらこちらで笑い声を伴ってたくさんの人たちの往来がどっとばかり伝わってくる。
  オ・セブレイロ峠は、超観光地化されていた。やっと石畳に登り着いたとたん、舗装された右側の路から乗用車が滑って来た。その先には大型観光バスでも20台ぐらい駐車できそうな広場があり、止まっていたと思われる種々雑多なクルマがひっきりなしに出入りする。周囲を行き来する顔ぶれをざっと見渡しても、巡礼と無縁そうな出で立ちの面々が闊歩している。石畳の淵をぐるっと囲む土で固めた塀は、我先に写真を撮ってもらおうと腰かける若者で隙間がない。観光地で馴染みの光景だが、正直いって興ざめになった。
  塀の反対側の土手を登って行くと、大勢が至る所に群がっている。バルの外に散らばるテーブルではビールのジョッキを傾けつつ談笑するグループが目立つ。オバマが立ち上がって演説の最中である。両脇には赤毛の女子学生と相変わらずむっつりの若者が控える。横の土産物屋の前には旅行者目当てのキーホルダーなどがぶら下がる。あまりの喧騒ぶりに辟易としたので、早々と小道を抜けて裏に回ろうと思う。貯蔵棟であろうか人家とは異なる雰囲気の建物がいくつか並ぶ。その先で堅牢な古民家風の木造建築がやや場違いに聳える。
  迂回して正面に向かうとレストランであった。扉を押して中を覗いてびっくりする。20はあるテーブルのうち客が座っているのは、なんとたった1つ。片面を占めるカウンターにも、中年の女性がぽつんと控えるだけ。奥の角っこを自分の席と決める。メニューを手渡されるものの、当然ながら読んでも理解不能である。中央で独り大皿いっぱいの料理を貪る男性に倣い、茹でたプルポ(たこ)と白ワインを迷わず選んだ。その上に、喉の渇き対策の生ビールと保温のためのカルド・ガジェゴ(ジャガイモと野菜のスープ)を加える。
  プルポの美味しさときたら、自慢の食べ歩き歴を瞬時に雲散霧消させた。よく茹でてあるために柔らかいが、噛んだ際にある種の歯ごたえは残る。岩塩とパプリカを振っただけのシンプルぶりが憎い。先客の食べっぷりではないが、脇目を振らず没頭するしかない。もとよりガリシア州に足を踏み入れたばかりだから不思議ではないものの、巡礼路を代表する峠の頂で第一級の茹だこ料理を賞味できたのは感激である。ただ食後の歩行に備えてグラスのハウスワインを注文した点が、多分わがグルメ記録を一生汚すにこととなる。極め付きの不味さである。
  ガイドブックの薦めに従いデザートは、初めから蜂蜜をかけた山羊のチーズしか考えていなかった。山羊のチーズは元来、スペインで造っていなかったらしい。評判のよいフランスの真似をしたわけである。しかし、シンプルな食べ方に対してはスペイン産の方が野性味溢れて好ましく、私は感じた。加えてガリシア産の蜂蜜が、恐ろしく力強くまた濃厚である。あまりエレガントなチーズだったら、四つに組んでみても弾き飛ばされる。デザートのもたらす至福の時は、白ワインで燻ったわだかまりをしっかり拭ってくれた。
  3日間滞在中という初老のドイツ男性の与太話もあって、昼食に通常かけるよりも思いのほか多く時間を費やした。オ・セブレイロ峠を出て次の集落リニャレスまでの3kmほどがずっと下り坂続きで助かった。遅れを取り戻すべくノンストップで県道LU‐633号線を進むと、まったく気づかないうちに真っ白い雲海があたり一面広がっていた。今までさほど意識する余裕がなかったけれど、ずいぶん高い地点に自分がやって来たんだと悟った。時折、突風が吹いてくるから帽子が飛ばされそうになる。手袋があっても握ったこぶしは冷たい。
  しばらくは岩や窪みの少ないなだらかな下りでほっとしつつ、1km近く歩を進めるとオスピタル・デ・ラ・コンデサに着く。少し休みたくなったが、心を鬼にして前進する。時々は片側の木々が低くなったり消えたりして、空や遠くの景色が臨めるが基本的に林道を歩く。さらに5kmぐらいアップダウンを絶え間なく繰り返すうち、うらぶれた墓が一角に固まるパドルネロなる集落に突き当たる。8km強の超強行軍でさすがに疲れを覚えたので、バックパックからミネラルウォーターを出して飲む。以後は、急な登りの連続。
  たった1km足らずではないかと高を括っていたが、後で振り返って今回の旅でもっとも苦しい行程だった。際限なく蛇行する急傾斜の登り路は、あそこを曲がれば到達点と期待させながら一向に尽きる気配がない。どちらかというと登りを得意としたはずだが、ここのエンドレスぶりにはほとほと手を焼いた。もっとも、後でクライマーに訊きよくよく考えてみると、緩やかな蛇行であったが故に初心者でも登れた。相次ぐ失望に足腰の痛みと喉の渇きと肩の荷の重みが重なり、思考停止状態の頭の中で例のごとく音楽の演奏がスタートした。
  「ワンツー・ワンツー」の掛け声は、水前寺清子の『三百六十五歩のマーチ』ではないか。「人生は、ワンツー・パンチ 汗かき べそかき 歩こうよ」・・・「歩みを止めずに 夢みよう 千里の道も 一歩から」と歌詞を口ずさむ。もう嫌だ、あの角を曲がってまた路が続いたら、即座にエンストとする。そう一方的に決断し進むと前が一層急になって上を覗けない。印象では路というよりは、むしろ崖と呼ぶべきである。じゃあ止まらずに歩くしかないとひとまず矛を収め、滑る靴を必死で踏ん張ってポールに縋って浮上する。
  登り切ったと同時に割れるような大歓声が、眼の前で沸き起こった。はっと見回すと20名前後の巡礼者たちが、手を叩いたり万歳したり祝杯を掲げたりしながら、「ブラボー」とか「コングラチュレーション」と叫ぶ。こちらも反射的に「ムチャス グラシアス」とか「サンキュー ベリーマッチ」とか「メルシー ボク」と応えた。嬉しかった。個人的な知り合いでなくても、巡礼者は皆仲間と本心で納得した。ここでビールで乾杯するのも一興とちょっぴり考えたが、今夜の宿をどうするかについて先ずは検討することとした。
  ポイオ峠には皆が集まっていた背後のアルベルゲと、道路を挟んだ向かいのオスタルの2つしかない。私たちは、歓迎してくれた連中の多くがいる前者の老朽化は著しいと判断し、あまりぱっとしないもののあちらよりましだろうと後者にした。レフキオ・ド・ペレグリノ・サンタマリア・ド・ポイオは、役立たずの父親と30代の娘が営んでいた。なにもかも娘が引き受けるから、万事が遅れがちになってしまう。しかし例の若い韓国女性が後で語ってくれたところでは、アルベルゲは湯が出ずシャワーが困ったそうで、まあまあの選択だったかと密かに胸をなでおろした。
  汗みどろになった身体をぬるま湯で拭って、ぐしょぐしょの下着を急いで洗濯し干した。1階は、入口に続いて受付とバルのカウンター・テーブル、奥の別室が8つほどのテーブルのある食堂となっている。2階は、6室の寝室とシャワー・トイレのほか、外に出ると3畳くらいの物干し場がある。アルベルゲの収容人員が16人でオステルは12人(2人×6室)だから、ここポイオ峠に泊まれるのはしめて28人とごく単純な計算ではなる。もっとも、2km先のアルベルゲでは86人収容できるから心配に及ばないかもしれない。
  夕食は、肉料理とスープとサラダにビールと赤ワインを頼んだ。初めはガラガラだったテーブルも、時間がたつに従って6分程度埋まっていった。斜め横に高齢の女性2名に男性1名のグループが座る。女性たちは、たぶん欧米人である。男性は、東洋人にみえる。面白い組み合わせではないか、と三面週刊誌並の興味を持って眺めた。と突然、当の男性が私たちのテーブルに近づいてきて、「私は、○○と申します。日本人の方ですよね」と話しかけた。途中で2名のうちのドイツの女性と意気投合したので一緒に同行するらしい。
  日本で四国八十八か所の行脚をした際にドイツの青年と仲良くなり、サンティアゴ・デ・コンポステーラへの巡礼について解説されたらしい。奈良県に住んでいると話していたが、即スペインへ来る身軽さが羨ましい。また、ドイツ人という共通点はあれ、片や若い男性、もう一方は高齢の女性と多彩な相手と国際交流する柔軟性も素晴らしい。私と同世代に違いあるまいと一見したが、本音としては敗北までいかないが寂寞感を抱いた。その上、「どんな目的で歩かれているのですか」と問われて立ち往生する体たらくである。



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