2017年6月26日
高村光太郎先生の葉書(5) 大木 実
――私はよく顔をあわせる愁い顔の寂しい感じのする女に心をひかれた。やがてその女と言葉を交わすようになり、急速に気持が傾いて結婚した。そしてそれまで住んでいた真島荘から、根津の電車通りをひとつ越した本郷側のアパートへ引っ越した。そこが根津山荘である。そこは根津権現の境内つづきの高台にあった。近くに漱石が「猫」を書いた駒込千駄木町の旧宅がそっくりしていたし、すこしいくと鴎外の観潮楼があった。観潮楼から団子坂の通りを横切って北へすこしはいったところが駒込林町で、そこに高村先生のお宅があった。私は先生のお宅を知っていたが扉を叩くということはしなかった。なぜだったろうか。人見知りをしてひとと会うのをおっくうがる私の性分もあったが、おじゃましてはわるいという気持があって、通りに面したお宅の前を通るだけで満足していた。今になって思うことは、もうすこし遠慮をしないでお訪ねしておけばよかった、という後悔の念である。