2017年7月3日
溜め息の系図(2) 斎藤玉男
ここ赤城山南面の六合目には「櫃石」と呼ぶ古蹟があって、豊城入彦命の陵とされたが正しくは定型的のドルメンであり、四道将軍の時代より十数世紀を遡るであろう。この外岩宿駅に近く関東ローム層の底から相沢忠洋氏にとって発掘された岩宿遺跡や、程遠くない新里村不二山遺跡の成立はこれより更に十数世紀を遡ると推定される。
先史学は若い学問である。今後の発見を積むにつれ、骨骼の学問から原人行動の跡を辿り、アーミタラ壁画のような資材に情意の肉付けを加えて行くならば、原人心理の復原にまで育ち得ると思われる。言うなれば大室古墳人の溜め息が平山大人の咨嗟に引き続がれ、更に形を変えて現代の六本木族の酔余の溜め息に系図を引く筋合でもあるのであろう。人間学の完成にはこうした一連の裏付けが先行せねばならぬのではあるまいか。それもかけ離れた時間の隔たりとは言えず、原人の吐息はそのまま現代の気吹きに膚接するのが、来りつつある人間学の立て前であると思う。