2017年7月11日
名古屋口の由来(5)―続々鴬系図― 板倉靹音
差し向けられた俥で出かけてみると、宿の入口の両側には女中が居並び、羽織袴に威儀を正した昨日の老人が玄関に平伏して迎えた。鴬のためにはすべてを投げうって悔いなかったとはいえ、古びた木綿縞の着物の着流しのわが身を顧みて、この時ばかりは顔が赤くなったと浅井氏は述懐している。さて、りっぱな部屋に通されて待つほどもなく、隣室から声がきこえてきた。さすがに老人が一世一代、いや門司はじまって以来の名鳥と自負しただけあって、その鳴きの気品の高さ、思わず頭がさがった。
その鳴き方は
中音 ホー。ホケキコ。
高音 ヒー。ホケキコ。
下げ ホ。ホ。ホ。ホケコ。キイーコ。
つまり、今日「長崎口」といわれるものであった。
さて、そこで、先年知多の船頭が持ってきた鳥は、この長崎口の出来そこないではなかろうか。――と、これは後年、浅井老が梅田孝之氏に語ったところである。つまり、下げのホケコの「コ」が脱落し、止めの「コ」をいずれも「ヨ」に訛ったものであろうというのである。筆者はこの話を東杉町のお宅で梅田さんから聞いた。
付記。この話は同じ題でかつて毎日新聞紙上に発表したものだが、意に満たぬ点があって、ここに改めて書き直した。