2017年7月19日
途 上(トジャウ)(1) 小堀杏奴
五十才も半ばに達しやうとしてゐる今、頻りに考へられる事は何時死んでもいゝやうな状態にありたいと言ふ事で、私の場合それは日々の生活に於ける心の置きかたと言つたやうなものになつてしまふ。もつと端的な言いかたをするなら自分に与へられたその日一日の暮しかたと言つてもいゝ。二ケ月ほど前から長女のM子が肝臓を病ひ、婚家先きから十ケ月になる赤児を連れて帰つて来てゐる。この病気は安静にして、栄養物を充分とる必要があるのだから、働き者の彼女は自分の家にゐれば例へ手伝ひの人を頼んだにしてもどうしても働いてしまふし、暫らく私の家で静養させ、その後の病状の変化によつては一、二ケ月の入院も止むを得ないさうで、家事一切の重荷は挙げて私にかゝつて来る事になつた。大袈裟で無く、朝の六時からはじまり、最後に夕食の後片付をして、牛乳瓶その他赤児の食器類を消毒してしまふとぐつたりしてもう家計簿一つつける気にならなくなる。