2017年8月4日
歴史の底に光るもの(2) 亀井勝一郎
しかし彼らの能力が劣つてゐたとは言へないのである。知性は言語表現だけでなく、あらゆる造型や舞踊にもあらはれる。法隆寺の五重塔を組み立ててゆくときの精密な知性は、いかなる科学者のそれに比べても劣らないだらう。しかし彼らの名は歴史のなかに埋れてしまつてゐる。
仏教信仰の場合もさうだ。古代から中世にわたつて名僧は数多くあらはれたが、その反面に、無名のまゝ埋れて行つた多くの信徒がゐた筈である。私は古代史を読みながら、いつも想像する。たとへば法隆寺の土塀の近くの草むらの中に捨てられたひとりの癩者が、いよいよ息をひきとるとき、金堂に向つて腐つた手をあはせて拝んだとしたら、その人にこそまことの信仰があつたかもしれないと。