2017年8月7日
歴史の底に光るもの(3) 亀井勝一郎
名僧には多くの著述、伝説、遺趾などがあり、またそれがなくては彼らの業績を語りえないけれど、何ものをも残さず、ただ念仏の一声だけで、歴史の中に消えて行つてしまつた無数の人々がゐた筈で、彼らの信仰が、名僧の信仰より浅かつたなどとは言へまい。
こんなことを考へながら歴史に接してゐると、精神の巨大な古墳の前に立つてゐるのと同様である。様々の資料があり、一応は明らかになつてゐるやうな事蹟すら、一歩その中へ足をふみ入れると、奥の方は無限に深い。万葉集の読びと知らずの一首でも、解釈は一応出来るが、さてそれをつくつた人の動機とか、それを唱和したときの表情とか音声を想像してみると、皆目わからないのである。しかもわからないといふことが、私たちの好奇心をそ々る。わからないものに対して、耳を傾ける態度を忘れてはなるまい。