2017年8月8日
歴史の底に光るもの(4) 亀井勝一郎
自分の身を隠すといつた行為は、王朝末期頃から次第に盛んになる。乱世とともに無常を観じ、出家遁世した例は多いが、もしほんたうに遁世したら、それは行方不明になることであらう。歌をつくつたり、文章を草したり、貴族のサロンに出入してゐたのでは、真の遁世者とは言へないだらう。
今昔物語とか鴨長明の集めた「発心集」などをみると、文字どほり、行方不明になつてしまつた遁世者がゐる。その人の名も業績も伝はらないが、その中にはすばらしい僧がゐたかもしれない。いつの時代でもさうだが、隠れたところに、すばらしい人物がゐて、ひそかに世の中をにらんでゐるかもしれないのだ。歴史の底に、さういふ眼光を感じながら、歴史を読むことが大切ではなからうか。