2017年8月9日
歴史の底に光るもの(5終) 亀井勝一郎
詩や歌の最も美しい在り方、それは作者の名など忘れられてしまつて、詩や歌そのものだけが民衆によつて歌はれてゆく状態である。読びと知らずの歌である。あるひは読びとがわかつてゐても、歌ふ人はそれを知らない場合もある。
私たちが健康に呼吸してゐるときは、自分が呼吸してゐるといふ自覚をもたない。それがいのちである。歌や詩も、あたかも自分の呼吸のやうに歌はれたとき、それは民族のいのちとなるであらう。
大和の古寺を建てた技術者たちは、千二百年の後、まさか自分の造型が国宝になるなどと夢にも考へてゐなかつたであらう。眼前の造寺に奉仕しただけである。読びと知らずの歌の作者たちも同様である。ただ無心に歌つたのだ。署名など少しも思はなかつた時代の自然のすがたを、私はやはり歴史の中に見て感動する。