2017年8月25日
ミュンヘン=フランクフルト急行列車 ギュンター・アイヒ/大山定一訳
イソゴルシュタットのドナウ川鉄橋。
アルトミュールの谷。ゾルソホーフのスレート採取場。
トロイヒトリソゲンの分岐駅。
その間、
色づいた雑木林が火のように燃え、
坦々たるアスファルト道路が苦痛にむかってまっすぐに分け入り、
空には対話を思わせる二三片の白雲が浮かび、
投げ棄てられた村々が車窓を流れ去る。
(ぼくはあんな村で、
おまえの声のするそばで静かに年をとりたかった。)
時刻表の数字のあいだに
ぼくたちの愛の所有地がちらばっている。
そして、ぎっしり
世界中の市々の名が印刷されている。
無造作に。ほとんど見わけがたく。
しかし、列車は
グンツェンハウゼンや、アンスバッハの駅を後にして、
追憶の月下の広野を
――オルンバウの蛙の声の
夏の名残の歌――
まっしぐらにただ走る。
ギュンター・アイヒは現代西ドイツの代表的な詩人の一人。ほかにラジオ・ドラマを書いている。そのうち二三篇は、NHKからも放送された。かれが日本へ来たとき、わたしは京都で四五日お相手をした。毎夜のように、木屋町や祇園の安酒場を飲みあるいた。かれはよろこんで日本酒を飲み、おぼつかない手つきでハシを動かしながら、何でもたべた。しかし、十二時をすぎてホテルへ帰るとき、かれはバーへ立ち寄って、かならずジントニックを注文した。いかにもこだわりのない、卒直な、気もちのいい人物だった。ちょっとドイツ人にはめずらしい人間である。