2017年9月7日
辻野先生のことなど(2) 大木実
変ったといえば表通りはもちろん、路地路地まですっかり舗装されていることで、私が住んでいた子どものころは表通りもろくに舗装されていなかった。
私はこころおぼえのままに路地へはいり、表通りへ出、また次の路地へまがる、ということをあきずに繰返し歩き続けた。そしてここに菓子屋があったとか、ここに金魚屋があったとか、――そのころの本所には町なかにまだ大きな金魚池をもった金魚屋などもあったのである。大水のあとその金魚池から流れでたたくさんの金魚を屋根から網ですくったおぼえがある。――小池君の家はここらあたりにあった筈だとか、記憶をたどりたどり歩いたが、そういう懐旧の情をわかちあう幼な友達のいないのを寂しくおもった。当時の幼な友達はみな四散してしまった。そんなとき、法恩寺という寺、太平湯という風呂屋、老舗の蝶屋という菓子屋などの、昔ながらの名を、もとのところに見出したときは「おおきみは健在だったか」と胸しめつけられるおもいであった。