2017年9月8日
辻野先生のことなど(3) 大木実
同じ日、足を伸ばして小学校の前にも佇ってみた。私の通ったのは柳島尋常小学校である。学校の名も昔のままでもとの場所にあったが、西の表通りに面してあった正門が現在は南側の横道の方に移され、二階建ての木造校舎が三階建ての鉄筋校舎に変っていた。日曜日で生徒の姿はなく校門も閉ったままであった。学校横の、現在の正門の位置とは反対側にある東西に走る道路も拡げられ、道のまんなかに流れていた大きな溝川も埋められてあった。雪の日、滑ってころがり落ちたことがあるその溝川のあとを、いまはひっきりなしに自動車が往来している。
三年生になったとき私たちの受持の先生が変った。その新しい先生が辻野勘治先生であった。先生は師範学校を出たばかりの若い教師として、最初の学校として私たちの学校に赴任され、最初の担任として私たちのクラスを受持った。いわば私たちが先生にとって最初の生徒ということになる訳である。