2017年9月11日
辻野先生のことなど(4) 大木実
辻野先生で忘れられないのは「赤い鳥」である。「赤い鳥」の童話や童謡である。「赤い鳥」は鈴木三重吉によって大正七年に創刊されているから、当時は三、四年経過した発展期にあたろうか、おそらくご自身のおかねで購入されたに違いない「赤い鳥」を、先生は教室でよく読んでくださった。また自由に持ち帰って家で読むことも許された。いまでもよく覚えているのは菊地寛の書いた「頼朝物語」という童話である。平治の乱に破れた父義朝に従って東国へ落ちていく少年頼朝が、馬上で眠ってしまい雪の夜道で一行から落伍してしまう。探しにひき返した鎌田兵衛(かまたひょうえ)が「佐(すけ)殿佐殿」と必死に呼ばわるが応えはない。
――そのときのしいんと静まりかえった教室の空気、息をのんで聞きいる私たち、先生の若い澄んだお声が三十数年過ぎたいまでもありありと浮かんでくる。