2017年9月14日
小さなスケッチ(2) 荻野彰久
あまりにも短いアッというあいだの時間なので面会にきていたひとびとのなかに、出てくるときに思っていたことの半分もいや三分の一も云えず間もなく時間だというあいずに思わず抱き合う若い男女もいたがすぐ離れねばならぬほどそれはそのときはそしてずっとあとから思い出してみてもきわめて短い時間であったにちがいなかった。本堂の北側の低い石段のうえに誰の目にもそれは電話機などでは決してないと気づく(強く吸い込まれたタバコの火でそれと分るのではなくすでにうっすらとあたりは明けかかっていてそれと知れるのだったが)古い水道管に似たものを強く握りしめている、死んだ源三の娘の姿が見られるのだった。出発のあいずにもかかわらず残った最后の兵士のひとりまで看視兵に促されながら発ってしまったあとの食べ物を包んだ紙くずやタバコの吸いがらが風に舞っているなかにひとりまだ気づかぬかのように、或はとっくのまえにすでに気づいてはいても動かそうとする足が思うにまかせないかのように、しっとりと夜露にぬれた姿で手にもっていた硬い水道管類似品の切端をしばらくじっと見つめたのち、それからうつろな目からそれをはなすと、娘はひとりごとをつぶやくのだった――ネエ、きっとよ、あなたのいくところに近くにわたしはいっているのよ。きっとよ、きっとよ!間もなく娘は泣きくずれる。毎夜同じ時刻になると娘はこれをくりかえす。
十六年たったいまでは村の誰でも源三の娘は狂っていると思っている。