2017年10月2日
日本の女のはだか(4) 高橋義孝
この仏師は、一人や二人の女の裸を見たというのではなく、非常に多くの女の裸を見たにちがいない。いやあるいは、一人の女の裸体を見て、そこに無数の女体を同時に見てとったのか。あるいは、こういう想像も必ずしも不当ではあるまい、そもそも女を裸にして見たりなどしなかったのかも知れない。その道程はどうであろうと、この仏師がちゃんと日本の女の肉体をつかまえたということは動かしようのない事実である。
この十一面観音をとみこうみしているうちに、これは観音であるどころか、売笑婦、遊女ではあるまいかと思い始めた。嚢の多い衣に覆われてはいても、脚にまつわりついた衣の部分は丸く前方へ突き出ていて、その他の部分は中へ抑えられ、くぼんでいるので、衣はほんのつけたりで、素裸、丸裸の女が立っていると思えばいい。ひょっとすると、左手の指が結んだ印も、衣はもとより、頭上に戴く十一面の観音の顔も無意味な、仕様ことなしのつけたりであったのかも知れない。