2017年10月12日
浮世バンコ(1) 野田宇太郎
夕涼みで団扇(うちは)をつかひながらのバンコ話はたのしいものであつた。
夏になつても、今ではもう味はへない光景である。その愛惜のせゐでもあらう、ふとバンコのことがなつかしく思ひ出された。
バンコといふ言葉は東京地方では耳にしないが、夕涼みなどで持ち運びの出来る縁台のことで、わたくしの故郷、九州筑後方面ではさう呼んでゐる。筑後柳河出身の北原白秋の仔情小曲集「思ひ出」にもバンコが出る。「柳河」といふ小曲の中に
裏のBANKOにゐる人は、・・・・
あれは隣の継娘(ままむすめ)
継娘。
といふ一節があり、そのBANKOに白秋は「縁台、葡萄牙語の転化か。」と註記してゐる。また「NOSKAI」という小曲は
堀のBANKOをかたよせて
なにをおもふぞ。花あやめ
かをるゆふべに、しんなりと
ひとり出て見る、花あやめ。
で、バンコが出るからやはりこれも夏の柳河風俗詩。花あやめは俗にノスカヒと呼んだ売笑婦の隠喩である。