2017年10月17日
浮世バンコ(3) 野田宇太郎
残念なことに、もうその折の大人の話はほとんど思ひ出せないが、たつた一つ、どうしても忘れられない話がある。わたくしの家は筑後の松崎といふ小さい城もあつた旧宿場町で、曽祖父あたりまでは宿場の小役人だつたらしい。祖父の代からかなり手広い百姓になり、父は百姓を伸用人まかせにして実業に打ち込んだ。わたくしが生れた頃は久留米聯隊に入れる米麦商のほか、塩、煙草などの専煮物を扱つて、田舎の雑貨屋も営んでゐた。わたくしの名が同姓同音の明治の政治家野田大塊によつて名づけられてゐるやうに、父はもちろん政治にも熱を入れてゐたが、そのために家産を傾けるほどではなく、やはり実業が本命で、わたくしの生家の向ひにあった宿屋を譲りうけて料理屋まで始めた。警察があったり私立女学校があったりする旧宿場町だつたから、日露戦争後の好景気の波に乗って宴会場の必要が生じたのであらう。さすがに父も母も、一人息子のわたくしをいつも賑やかな料理屋の方へはあまり近づけようとしなかったが、そこにやとはれてくる白首のあねしゃん達は、わたくしを忙しい母の手から奪いとることが多かったらしい。わたくしはいつしか白首のやさしい女達になついて、その話をきくのが好きになった。と云っても淫らな話をきいた覚えはないのだが。