2017年10月30日
字引のこと(4) 木山捷平
この字源は私が買ったのではなく、ある時、もう三十年も前、私が田舎へ行ったら倉の二階にころがっていたのを持って帰ったものであった。もとの所有者は私の弟のどれかが中学校の時つかったもののようであった。が、名前が書いてないので、誰がつかったものか分らなかった。
この字引の表紙がちぎれたのは、いまから十年ほど前のことである。はじめのうちは布切で修理しておいたが、そのうち表紙自体よりも中の糸がきれてきた。一番はじめに切れたのはサンズイ偏のあたりからであった。字引もまた水ものの感があった。つづいて心偏のあたりがきれた。静心ないみたいなきれ方をした。
きれてもじっとしていればいいが、頁がほつれて本からはみ出すので邪魔っ気ぎらいの私は、一層のこと破いて屑籠にいれているうち、字引はだんだん痩せ細って、いまでは五分の一くらいはなくなった。
それでも必要なことがあって、索引なしでひくのは時間がかかるが、たいてい私の必要な字はでてくる。一つ、新しいのを買わなくっちゃと思いながら、もう七、八年になる。