2017年10月31日
思い出ひとつ(1) 竹中 郁
三好達治君が亡くなったころ、わたくしの右腕は神経痛で、おくやみの手紙も碌すっぽ書けなかった。それが今日が百ケ日、右腕もらくになったので思い出の一つを書く。
昭和二十三年の冬のはじめのような気がするが、京都へ来たからという知らせを受けた。宿は祇園の中村楼とある。
中村楼といえば、端唄「京の四季」に二軒茶屋として出てくる、あの家だ。豪気なところへ宿ったものだ。明治大正時代には顕紳だけの宿った家だ。ひょっとして、三好君が三高時代に眤懇ででもあって宿にたのんだのかな。そんなことを思って、正午少し前に八坂神社の正門前のしずかな小路をのぼっていった。
以前にもその前を通って大きな門構えをおぼえていたが、いざ足をふみ入れるとなると、気押されるくらいな門なり玄関なりである。二階へ案内されると、東側の庭に面した大きな部屋である。明治中期の普請とみえたが、天井も高く、まだ炭の不足のころとて、寒かった。