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2017年11月24日

光明の后と鑑真和尚とリビドゥ[上]-3 斎藤玉男

 さて「鑑真東征伝」が登場する順序となる。彼が四十六歳までの唐で挙げた業蹟は、前後大律並びに疏を講ずること四十回、律抄を講ずること七十回、軽重義を講ずること十回、羯磨(カツマ)疏を講ずること十回。その間にも寺舎を建て十方僧を供養し仏菩薩像を製り、貴卑平等の会を催し貧病苦に悩むものを救い、一切経三万三千部を写し、彼の手で授戒に浴したものが四万人を超えた。一言にして言えば大唐天宝代の教学に於ても実践に於ても仏者の棟梁であり光明であった。その故にわが国から学僧二人が渡唐して、楊州府延光寺に居った鑑真に渡日を懇請し、是非ともこの粟散辺土(邦人も当時この日本の別称を承認して居た)に仏光を光被させたい熱望を披瀝した。
 この要望は両方にとって「渠成って水到る」と言った状勢の下に満たされた。と言うのは我方では(仏法渡来の当初にこそ相当な抵抗があったものの)聖武治下では上下を挙げて新信仰新知識の吸収消化に熱中する最中であり、一方鑑真の側では生来の精力的活動が宿望として布教の新天地を求めるのに飢えつつあった矢先であったと言える。ただ妨げとなったのは渡航の困難さで、五回も船出を企てたが五回とも逆風難風に遭って大陸に吹き戻されたのみか、中心人物鑑真が風浪の飛沫(シブキ)を眼に受けて遂に盲目となると言った不幸にさえ見舞われた。併しこの人の道に殉ずる執念は一難毎に固められ、随行僧の或る者は中途断念し、迎えの日本学僧の一人は帰国し去ると言う不利な状勢の下でも柳かも動揺することがなかった。この間前後実に十七年が経過した。



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