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2017年11月27日

光明の后と鑑真和尚とリビドゥ[上]-4 斎藤玉男

 時は遂に自他に幸いした。わが天平勝宝五年の秋入唐大使藤原清河が帰国の官船に鑑真一行の同乗することを慫俑した。併し「好事魔多し」で、その噂が漏れるや第一に寺中の一統が渡航阻止に乗り出し、和尚を寺中に軟禁しようと企て、次には地方官憲が之に同じて臨検抑留の処置に出でようとした。その為和尚一行は蘇州黄泗津で一旦乗船した大使の乗船から下り、夜陰に副使大伴胡麿の船にかくまわれ、辛うじて外洋に脱出した有様であった。
 しかし遣唐船はこの度は海路平らかに九州に安着し入洛することが出来た。奈良京では都を挙(コゾ)って和尚一行を迎えた。正に大仏開眼供養の翌年の冬であったと言われる。天平としては後期である。程なく東大寺大仏殿南面に戒壇が設けられ、真先に和尚の授戒を受けた中には聖武上皇、光明の后、孝謙現皇の名が挙げられ、次で西の京に彼の指導の下に唐招提寺の巨刹が営まれた。その講堂は(鎌倉時代にいとも拙なく修補されたが)和銅年間奈良京造営の砌(ミギリ)の朝集殿をそのまま充用されたと言われ、内部の柱や天井は今も天平のままだとされて居る。兎に角金堂と講堂がことさら様式を異にするのは、察するに礼拝や儀式の場と仏典講究の場とは気分を殊にすべきであるとの鑑真の細かい心遣いによったものであろう。
 講堂内にある諸像の中でも特に唐軍法力の作と伝えられる仏頭と菩薩頭とが傑作である。今は胴体は失われ仏頭の鼻も欠損して居るが、菩薩頭の方は塗料が剥げただけである。その剥落さえが今では何とも言えぬ趣を添えて居る。寺伝が正しければここには如実に仏師法力の敬慶さと気醜がこめられて現存する訳で貴い遺物であると言ってよい。



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