2017年11月28日
光明の后と鑑真和尚とリビドゥ[上]-5 斎藤玉男
鑑真の将来品の目録を見ると、その中に四分律一部六十巻、法励師四分疏五本各十巻(合せて五十巻)、光統律師四分疏百二十紙、智周師菩薩戒疏五巻、霊渓釈子菩薩戒疏二巻、天台止観法門玄義文句各十巻、四教義十二巻、次弟禅門十一巻、行法花骸法一巻、小止観一巻、六紗門一巻、明了論一巻、定賓律師飾宗義記九巻、補釈飾宗記一巻、戒疏二本各一巻、観音寺高律師義記二本十巻、南山宣律師含注戒本一巻及疏、行事抄五本、掲磨疏等二本、懐素律師戒本疏二本、大覚律師批記十四巻、音訓二本、比丘尼伝二本四巻、玄鼻法師西域記一本十二巻、終南山宣律師創開戒壇図一巻、法銑律師尼戒本一巻及疏二巻が含まれて居る。これ等は前出の疏を講ずること四十回、律と抄を講ずること七十回云々の講説の原本となったもので、恐らく律は前賢の敷術した古経典の教義とその論評、疏は律を再敷街した論考、批判及び注釈であろう。彼が日本に久しいあこがれを覚え、日本を死所と思い定めて渡来したことは、この一事からも推測出来るが、彼の懐いたあこがれの主体の一面については後章で再び触れることにしたい。