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2017年11月29日

光明の后と鑑真和尚とリビドゥ[上]-6 斎藤玉男

「東征伝」が挙げた鑑真の随行者は、わが天平十五年第二回渡航の時には僧尼十七人の外に玉作人、画師、彫刻師、刻鑛工、鋳金工、繍物工、修文仕上工、鍋石工など合計八十五人となって居る。これはそのまま「先進文化移植群団」と言ってよく、その配意は単なる教説の移入だけを狙ったのでないことが知られる。最終回の一行の顔触れでは人名まで明らかになって居る。即ち楊州白塔寺の法進、泉州(福建省)超功寺の曇静、台州(斯江省)開元寺の思託、楊州興雲寺の義静、衡州(温江省)霊耀寺の法載、寳州(広西省)開元寺の法成の外僧侶が八人、藤州(広西省)通善寺の智首尼の外尼僧が二人、楊州の(授戒前の)優婆塞(ウバソク)濡仙童、胡国(西域の汎称)入である安如宝、毘喬(後の仏領印度支那の一部)人である軍法力、謄波(交趾支那の一部)人である善聴、その他九人、合計二十四人である。この顔触れを見ても当時唐と西域、インド、東南アジア等との人物文化の交流がシルク・ロードを介して如何に活溌であったかが立証される。またこれ等の地域を通じてギリシャ、ローマとの接触も相当直接であったことは太宗朝の長安に建てられて現存する「大唐景教流行碑」を見ても知られる。景教は外ならぬキリスト教であることは言うを要せぬ。



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