2017年12月1日
光明の后と鑑真和尚とリビドゥ[中]-1 斎藤玉男
以上のことから筆者は和辻氏の専門道の灘蓄と彼の観察眼の鋭どさ、温かさ、広さから実に多分に謁えられた。それらを二三拾って見ると――
(1) 文化は限りなく育ち且つ拡散しつつ充実して来たこと。芸術の浪が多分インドに発祥し、それがギリシャ文化に影響し、後者はシルク。ロードを経て西域に延び、ここを中介として一方波羅門文化と交渉し、他方北魏及び唐に浸潤してそこに固有である芸術の肥培となると共に、支那文化は逆にヘレニズムに感化を与え、更に東漸したこれ等諸芸術が、わが国の和銅天平弘仁以後の文化の開花に緊密に参与した跡が、次第に明らかにされ初めたと言えると思う。