2017年12月7日
光明の后と鑑真和尚とリビドゥ[下]-1 斎藤玉男
説き来って筆者はここで鑑真及びその配下である軍法力以下の人々に再登場を煩わしたく思う。それは外ならぬこれ等一団の心理に支配的であったと思われるリビドゥの検討に関してである。
それは彼等より千二百年後れてウヰーンに生れたシグムント・フロイトの提唱したリビドゥ説の照明に彼等を曝した場合の心理分析の展開にいかなる妥当性が許され得るやの点に繋る。
フロイトの心理分析、殊にリビドゥ説は、提唱者自身にも恐らく完壁なものでなく、彼自身も晩年にその改訂をほのめかした跡があるが、その大筋は人間心理の根底には性因子が主.嬰な役割を占めるが、この因子は顕在性のものでなく、屡々意外な相貌で人間行動の表層に現われ、行動者自身終りまでそれが性的由来のものであることを理解しないことが寧ろ普通だとされる。提唱者の言う意味の意識の肚界、就中「下意識」の世界がここで組上に持出されるが、これと「無意識」との繋がりが彼の提説に対する斯界の久しい不信の中核でもあるが、併し彼の性因子重視の着眼には傾聴すべき箇条があることは、近年各方面で次第に不承々々ながら容認され来った現状であると思われる。ただその全面的容認までには今後幾多の周到な討議が費やされることになろう。