2017年12月8日
光明の后と鑑真和尚とリビドゥ[下]-2 斎藤玉男
先ず想い起されるのは前出の乾陀羅国の見生王が三七日の入定の成果として「日本光明皇后の肉身に生身の観音像を拝むことが出来る」との仏告である。これは「物語」であるにしても、物語の中に生きて居る。王の旨を受けた文答師が遥々我国に渡来し、皇后の生身をモデルとして観音像を彫んだことになって居るのであるが、ここで認容すべきことは皇后の具有した理想美の風聞が国際的に流布されたとする物語の打出す、当時の人々の抱いた真摯な期待その者に担われる物語の精神である。これはそのまま国際的のリビドゥの現われを伝えるものに外ならない。物語に事実の裏付けがないままにそれが担う渇仰心は時代の真実心を表現するとしてよい。
これはまたそのまま移して鑑真の心境に映出されるのではないか。つまり当年の国際的のリビドゥが意識の底辺に於て彼の渇仰心を揺り動かしたと言えるのではないか。布教の新天地を激しく求めるそれ等の欲求と竝んで、血肉を具有するあこがれの対象が、見生王の場合と同様、彼を強く粟散辺土へ惹き寄せたのではないか。