2018年4月2日
短歌と私 桐村俊一郎
企業の材料研究者だった私の唯一の文学体験は七十年代に筑摩から出た「日本詩人選」、和歌との出会いである。
古希に至って高校同期生から贈られた句集が転機になった。贈り主のオードを作ってみたが読むに耐えない。短歌の形を借りたら上品になるだろうか。初めは難しく思われたが次第に面白くなり、連作五十首をクリスマスに贈った。
①忘れめや十五の春の教室に瞠りてゐたる君の瞳を
㊿忘れまじ折々見つる君の瞳をわが身はやがて盲ひなむとも
緑内障の私の視力は既に大分低下していた。その後短歌で旅の再体験を楽しんだ私は、読書も旅に似ていると思った。
プラトンの対話篇読み短歌にてスケッチせんと思ひたちたり
プラトンの道半ばで三一書房「現代短歌大系」の歌人と作品の印象を詠み始めて、最終巻の戦後歌論集で終了した。
今私は二つの月例歌会と「草木」の詠草を量産しているが、あってもなくても変らないような歌ばかりと虚しく思う。詩心は洞れかけて、楽しいのは推敲過程だけである。推敲の精神は何事にあれ執着心を解きほぐしてくれる。けれど推敲は日本語の豊かさと限界を学ぶ過程にすぎない。何を歌うかが肝心だ。ボーは「詩は悲しみを歌う」と言った。宇宙に束の間生きる不安、恋しい人への憧れと別れ、花鳥風月の嘆賞、これらも悲しみに通じると言えようか。
うららかに春をことほぐ諸鳥の歌を聴きゐて何を嘆かむ
2017/4