2018年7月13日
依存する(1) 佐藤東洋麿(横浜市)
遠い記憶をたどると、眠るのに苦労した夜は無い,済ませなければならない仕事が進まず、就寝時間が夜中になり朝方になり、今日はここまでと未練を捨てて目覚ましを二つセットして寝込む、という苦い日々が浮かんでくる。
かかりつけの李先生に眠剤を処方してもらうようになったのは、六五歳を過ぎたころだったろうか。はじめのうちは少し、耐性がついてくると次第に増えていく。ああこうしたものに頼るようになったのか、と直径七ミリのレンドルミンの白い粒や、やや小さめのうっすら青い楕円形のハルシオンや、直径五ミリの気づかないくらいに桃色が彩るゾルビデムを眺める。
ひとさまには話さない。怖がるひとが多いから。それって危ないんじゃない?頭に直接効くクスリだから。私は全く怖くない。毒ならばたっぷりと浴びてきた。満州から辛うじて胡蘆島に着き米軍の船に乗せられ佐世保が見えたと思ったら、上陸まえに「ばい菌を殺すから」とDDT(有機塩素系の殺虫剤、農薬)を頭からかけられた。小学校のころは至るところに石綿(アスベスト)が使われていて、毒とも知らない私たちはそれをちぎったりして遊んだ。後年、DDTは使用中止となり石綿はそれが原因で肺癌や呼吸器疾患がおきることが分かり、救済制度までできた。八十歳にもなれば、毒を食らわば皿まで。六十年近く愛好する煙草に火をつける。