2018年7月20日
依存する(2) 佐藤東洋麿(横浜市)
寿命はだれにも分からない。だから寿というめでたい字がついているのか。重い病いで最期を告知されたら、めでたい命にならない。ひとによっては、し残す仕事ができていいというが、私は臆病で女々しいからその間の不安や葛藤に心は大揺れに揺れるだろう。それに、為残した仕事など見当たらないのである。
年に二回ほど、朝から何も食べないときの血液検査をする。結果を見て睡眠剤のほかに三種類のクスリを処方する。バルヒディォ、アトルバスティン、トライコア。血圧をさげたり、中性脂肪を減らしたりするのだと言う。
七十歳を超えたと思われる彼は、昔ながらの先生で診察のときは脱がして聴診器を私の胸にあて、背中をトントンと叩く。大画面のパソコンを眺めてはいるが、私はちゃんと胸を開いて待っている。年寄りがクドクドと訴える憂いを、止めもせずに耳を傾けるから、待合室はいつも満員だ。
彼の人柄はそこにも見えて、「現在の待ち時間およそ四十分」などとボードが出る。奥のほうから「サトートヨマロさーン」と呼ばれて診てもらい、その三種のクスリをもらうわけで、むろん睡眠剤が主なのではない。
私が好きなのは先生がたいていのクスリならくれることだ。風邪をひいたら風邪クスリ、便秘をしたら軟下剤。くれなかったのは、鼻のてっぺんに赤らんだイボができたときだった。ほっておけばいい、と。
私は大きな病院の皮膚科に行き、女医さんが「痛いわよ」と言いながら細い棒のようなものの先につけた液体窒素でイボを取ってくれた。