2018年7月30日
依存する(5) 佐藤東洋麿(横浜市)
この私はどうだったろう。逗子小学校から鎌倉八幡宮のそばにある、国立大附属の中学校に受験しに行ったときも、一人だった。きみはお父さんがいないね。亡くなったの? いえ、どこかに蒸発してしまいました。それから三年後、赤坂見附の近くにある都立高校では「面接」が無くて嬉しかった。だが育英会の奨学金を申請すると、またしてもこと細かく家庭の事情を説明させられる。フランスの作家ルナールの代表作『にんじん』poil de carotteの主人公の少年が、母親の虐めに耐えかねてたしか「みんなが孤児になるわけにはいかないんだなあ」と嘆いた心情が、あのころの自分に重なる。物理的にも心理的にもあれは旅だった。
もし私が孤児なら、同じような境遇の仲間と施設にいて、よく言う家庭の恥をさらさずに済んだ。だが今となっては恥もヘチマもない。私はさまざまな善意のひとに遇い、引き揚げまでは餓死せず、栄養失調ではあったが大きな疾病におかされず、依存して依存して歩んできた。依存は恥ではない。おべんちゃらや屈従が恥なのだ。午前二時ごろ、床につく前に私は一度外に出る。夜空を見あげると雲がうすく棚びいて、それでもところどころに星が光っている。そう、私たちは宇宙に依存してここに居るのだ。
このまま夜が明けなければそこには永遠の沈黙があるだろう。寝間着のままで出てきたので肌寒い。ふと旧知の櫻井みぎわ弁護士に預けてある遺言書を思いだす。
私の骨はなるべく細かく砕いて、妻の居る南房総の鴨川海岸のどこかに散っていくだろう。通りを歩いているひとはだれもいない。私は立ちつくしている。
随筆春秋誌 2018.4 より