2018年8月28日
この太陽のかがやき(4) 小野十三郎
わたしは、万葉学者や歌読みのように、大和という土地に対してとくべつの愛着を持っていないが、見はるかす国原に重たく垂れ伏している稲の穂に射す強烈な晩秋の日光にその日なにかしら故知らぬやすらぎをおぼえたことは事実である・、うすぐらいところで、国宝や重文の仏像彫刻に対面したいとはそう思わぬが、この大和路に照り映える秋の日光の中には、ときどきいたい、その強い陽ざしを眼と肌身に感じているのは悪くないと思った。おーい、みな来い、だ。
どんなにたくさんの人がここに殺到してきても、相手は日光である。大和路に射す秋の太陽は、それによって、奈良に住んでいる一部の文化人諸公や、東京あたりからやってくる文士諸君のように、大和は静けさをうしない俗化したなどとは云わないだろう。あるいは静けさを破るかもしれない庶民のヴァイタリティにもまれながら、なお中心に確固とした静かな世界を持しているもの、それが謂うところの伝統というもの、伝統の力というものだろう。
朝の十一時から、昼の一時すぎまで、わずか二時間ばかりの大和路。四十分で阪奈国道をぶっとばして帰ってきた。