2018年9月19日
朔太郎の庭見物(1) 桑原武夫
萩原朔太郎を、どういうきっかけで、いつごろから読み出したのか、たしかな記憶がない。三高へ入つたころ、偶然ぶっつかって好きになり、三好達治と話しているうちに、それへの傾斜が決定的になったのかと思う。
私は昭和十七年、つまり、やがて萩原さんの亡くなる年の二月号の「四季」に、『詩人』と題して、ささやかなオマージュを寄稿したことがある。その中に「萩原さんには二度お目にかかったに過ぎない。そしてここに詩人以外からは生まれぬ言葉と姿を見たように思う。」と書いている。第二句は何とも曖昧な拙い文章で、今よんで恥しいが、当時の私はこのお目にかかった折のことは到底うまく書けそうにない、またむりに下手な文章で書いてはこの詩人の徳をきずつけるおそれがある、と思っていたのである。
二十三年をへて、私が筆力に自信をえたわけでは、もちろんない。ただ四分の一世紀という時間の経過は自他ともにひとを寛大にする。それに私も老境に近づいたので、事実はやはり書きとめておいた方がよいような気がするのである。ところが、さて書いてみようとすると、焦点のところ、大徳寺行きのところだけが明るくて、あとは記憶がひどく薄暗い。