2018年9月20日
朔太郎の庭見物(2) 桑原武夫
だいたい年すらはっきりしない。ともかく淀野隆三が京都市会の翼賛議員をしていた頃である。三好から萩原さんが京都の庭を見に行くから、よろしく、という連絡があった。私は萩原さんにそれまでお目にかかったことがない。しかし保田与重郎が一しょだという。保田には、記憶のまちがいでなければ多分、昭和九年か十年ごろ信州の上林温泉で三好をたずねてきたときに一度会ったことがある。京都ホテル(?) におたずねした。詩人は背広、保田はぞろりとした着流しだった。京都の名園ということなので、その日の昼問は市会の用事でどうしても手のぬけぬ淀野と電話で相談し、まず第一日は大徳寺へ御案内することにし、有力議員の淀野から観光課を通して、連絡してもらった。当時大徳寺は中々格式ばっていて、紹介なしで行ったりすると門前払いをくわされるおそれがあったのだ。淀野は大仙院、真珠庵、孤蓬庵の三つをえらび、それぞれ連絡し、「日本一の偉い詩人が行かはるさかい、よろしうと、いうたるからな、大丈夫や」と電話口で私に報告した。