2018年9月26日
朔太郎の庭見物(5) 桑原武夫
そして住職の方に向って丁寧に「どうもありがとうございました。」と頭を下げた。どうぞ、ごゆつくりという挨拶だったが、一刻も早く辞去したげな様子なので、私たちはすぐ玄関へ向った。門外へ出れば真珠庵はすぐ隣である。そちらへ案内しようとすると、
「もう帰ろう。庭はわからん。」
今のは石庭だが、真珠庵はまた趣がちがう、などといってもダメだった。都心に引返し、やがて淀野のあらわれるのを待って、その案内した料亭で酒をのんだ。室生犀星のことが話題になった。私は昭和五、六年ごろ三好の紹介で馬込のお宅を訪問して玄関払いをくったことがあるが、昭和八年の夏、軽井沢で堀辰雄につれられて別荘に訪問して歓待された。
「君の訳した「赤と白」という小説ね、あれはとても面白い」とか
「長野というまちはとても暑いところだ。宿屋に泊っていたが、そこの庭に一本だけ向日葵が立っていた。とても暑い。」
などという面白いことばは今も忘れえない。その後数回お目にかかり、京都へ庭をしらべに来られたときも宿からハガキをもらっておたずねしたことがある。